99.9%の人間にとって大学は就職予備校である

大学は就職予備校だから18歳で進学する

もし大学が就職予備校でないのならば、わざわざ奨学金という名の借金をして18歳から大学に行く必要はありません。

新たな知識を得る事は一般にとても楽しいことですが、単に知識を得ることが大学に行く目的ならば18歳で数百万の借金を背負うのは賢い選択ではないでしょう。

大学には様々な学部があり私は文系から理系に転向しましたが、その内容は天と地ほどの差の別世界です。 続きを読む

勉強しかできないコミュ障が進むべき舗装された道

給料で暮らす生活から投資収入で暮らす生活にシフトを目指す

上の図は金持ち父さん貧乏父さんで有名なロバート・キヨサキのCASHFLOW Quadrantです。

それぞれEはサラリーマン、Sは自営業者、Bは会社経営者、Iは投資家を示します。

そして左側にいるサラリーマンと自営業者は自分の時間を使ってお金を稼ぐ人、右側にいる会社経営者と投資家は自分の時間を使わずにお金を稼ぐ人です。 続きを読む

高校で落ちこぼれても大丈夫

1999年私が高校3年生だったころ

毎日をつまらなく過ごしていました。

とにかく早く家を出て一人で暮らしたいと中学生の頃から思っていましたが、それがピークになったのがこの頃だったと思います。

学校には行っていたけれど、特に学んだことはなかった気がします。 続きを読む

書評: 新井紀子 『AI vs.教科書が読めない子どもたち』

はじめに

本書は4章からなり、最初の2章は『AI』について、後半の2章は『教科書が読めない子どもたちの読解力』について、著者の考えが述べられています。

この投稿は主に最初の2章の『AI』パートのみの書評です。

人間を超えるAIは現れないと考える理由

この本のAIに関する主題を簡単にまとめると、 続きを読む

数学の勉強はゆっくりでいい

数学の勉強はとにかく進まない

最近仕事のために数学の論文を真面目に読む機会がありました。

私は面倒くさがりなので、論文や教科書を読んでいても、仕事に必要な部分だけを抜き出して、証明など知らなくても困らなさそうな部分は大抵スキップするのですが、今回は必要に駆られて全部を真面目に読む必要がありました。

数学の教科書や論文を真面目に読むと、1ページどころか1行進むのに数日かかったりします 続きを読む

嘘をつく人間は社会のコスト

嘘をつくことに抵抗のない人がいる

二週間ほど前に「底辺校」出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由という記事が話題になりました。

『地方で育つ人間は東京で育つ人間と比べて相対的に教育機会に恵まれていない』という著者の阿部幸大さんの主張自体は一つの意見として貴重です。

その後、彼の文章には嘘が紛れ込んでいることを指摘されたのですが、阿部幸大さんはその行為自体を続編の「底辺校出身の東大生」は、なぜ語られざる格差を告発したのかという記事で、自分の主張を伝えるためには必要なことだったと嘘をつくことを肯定したのがとても気になりました。

阿部幸大さん自体が博士課程に在籍する学生だということもあり、嘘をつくという人としての不誠実さに批判が集まっているのですが、そこが問題だということが認識できない人がアカデミアにいることはとても残念なことです。

この件に新井紀子教授が反応する

今回の件が私にとってある意味よかったのは、このブログでもたびたび話題にしている新井紀子教授の研究に対する姿勢が偶然にもよくわかったことです。

以下は阿部幸大さんの嘘に対するコメントです。

彼女は今回の件に対し、『細かい事実関係で云々するより、まずはそのことは受け止めて欲しい。』と述べています。

つまり新井紀子教授自身も、自分の伝えたいことを伝えるためには話に嘘を混ぜることに抵抗がないのです。

これまでも新井紀子教授の言葉には嘘が混ざっていることを指摘してきました。(「ロボットは東大に入れるか」の新井紀子教授は研究者としてすごい新井紀子教授はAIの専門家ではない 『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』

新井紀子教授の言うことは信頼できるのか?では新井紀子教授の学歴詐称を指摘し、『正しくない情報を流すことに悪気を感じない方という印象を強くした』と記事を結びましたが、今回新井紀子教授本人からそれを肯定する言葉を聞くことができ、それは確信に変わりました。

新井紀子教授が自ら信頼を失う行為を肯定するのは自由ですが、新井紀子教授のことを信頼する方々は世の中には多くおり、彼(女)らのことが非常に気の毒です。

エンジニアリングはコミュ障のサンクチュアリであってほしい

コミュニケーションは本当に難しい

新井紀子教授はAIの専門家ではない 『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』という記事を書いて約一か月が経ちました。

15000人の目に触れたようなので、いろいろなコメントをもらっています。

まずははてなから。

氏には首肯し難い主張が多いが、これはブログ主の誤解。氏の主張は「各頂点からの距離の和が一番小さくなる点」が対角線の交点になることの数学的証明がスパコンに困難という話。対角線の交点自体は当然計算可能。

私が書いたプログラムが『単に対角線の交点を計算しているだけ』と勘違いしている人が多いのは私の書き方が悪いのでしょうか?

『このプログラムはGeometric medianが対角線上に存在するということはもちろん知らずに、あなたのコンピュータやスマホ上でリアルタイムにそれを見つけだしています。』と元記事では『もちろん知らず』を強調しておいたのですが、これで伝わらないとなるとコミュ障の私には厳しいです。

また、あの文章をどう読めば『証明しなければいけない』という解釈になるのかいまだに理解できないです。

Willyさんありがとうございます。

そもそも実際に問題が解けていることが確認できる時点で、エンジニアリング的には証明をする必要が見出せません。

時速100㎞で走っている車を目の前にして、その車が時速100㎞で走る能力があることを証明しろと主張することに意味があるのでしょうか?

計算量O(n)の極大化の話題に対してアルゴリズムによる計算量の極小化をもって解決可能!と主張してる。なんと言うか、ブログ主のコミュニケーション能力は極小だな。

何を言っているのか意味不明です。適当なテクニカルタームを並べて何か言った気になるのは、わかる人から見ると、残念な人に見えるだけなのでやめた方がいいと思います。

そもそもの主張の誤解もそうだしヒューリスティクスの説明もひどいし遺伝的アルゴリズムの例示も不適切(この場合は実質二分法で適当な仮定の下で確率1で収束してしまう)、新井先生はさすがにもうちょっとまともですよ

1次元の連続関数の解を見つけるアルゴリズムである二分法を、2次元の問題にどのように適用するのか具体的に説明してほしいです。そもそもが『距離の和が一番小さくなる点』を求めるのに論理も確率も統計も必要ないというのが趣旨なので、それをくみ取っていただかないで適当な仮定の下で云々とかいわれても困ります。

新井紀子教授はまともじゃないくらいに理系の教養がない

私としては、新井紀子教授が実用的なプログラムを書いたことがない人だというのは彼女の書籍を読めば一目瞭然だと思います。

しかし世の中の人誰もがプログラマではないですし、一口にプログラマと言ってもIT土方と呼ばれる人から、世界中で使われるAI関連のオープンソースソフトウェアを開発する人までピンキリなので、それを判断するのは多くの人にとってとても難しいということがわかりました。

私も新井紀子教授はもう少しまともな人だと思っていましたが、残念ながら彼女が根本的に理系の教養がない人だというエピソードを見つけてしまいました。

新井紀子著『こんどこそ! よくわかる数学』より引用です。(元ネタはこちら

ガリレオのピサの斜塔での実験では, 重い鉛の玉も軽いアルミニウムの球も同じように落ちて, 同時に地面に着きます. 重さは落ちる速度には関係なく, どんなものでも落としてから1秒後には落下の速度は秒速9.8メートルになり, 2秒後には秒速19.6メートルになります. つまり, 1秒ごとに秒速9.8メートルずつ速度が上がるのです. x秒後の秒速yを式で表すと, y=9.8x(m/秒)となります.

y=9.8x(m/秒)の解釈が『1秒ごとに秒速9.8メートルずつ速度が上がる』というのは数学を持ち出すまでもなく物理的におかしいでしょう。

そんな奇妙な加速をしながら落下する玉を私は見たことがありません。

この本は中高生向けの本なのですが、読解力のある中高生はこの文章を読むと間違った知識を手に入れることになります。

なんとなく『1秒ごとに秒速9.8メートルずつ速度が上がる玉』が、どのような動きなのか気になったので以下にプログラムを書いてみました。

新井紀子教授の世界(Norico’s World)を私たちの世界(Our World)と合わせてご覧ください。

Norico’s Worldの玉の動きは明らかに私たちが地球上で観察する玉の動きと似ていません。

なぜこのようなおかしなことが起こるかというと、新井紀子教授の科学に対する姿勢は以下の通りだからです。

数学さえ分かっていれば、AIに何ができるか、そして何ができないはずかは、実物を見なくてもある程度想像がつくのです。(『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』より引用)

脳内で勝手に想像するのはご自由ですが、それをもって現実世界を断定するのは博士号を持つ大学教授の姿勢としては非常に問題のある態度です。

新井紀子教授は数式を見て勝手に間違った判断を下すのではなく、もう少し現実世界を観察し、実物を見て、自分の理解が正しいか確かめた方がいいと思います。

そもそも実物を見ようとしない研究者に存在価値などあるのでしょうか?

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大学で文系の勉強がしたいなら総合大学の理系学部に進学するべき

『授業を履修したという証明書』を買うために大学の学費を払っている

以前に文系学部への進学はコスパの悪い買い物という記事を書きました。

この記事の要旨は以下の2点です。

  1. 大学の授業を聞くためには入試に合格する必要も学費を払う必要もない
  2. 似たような学費を払うならば、価値のある証明書を手に入れられる学部を選んだ方がいい

これらから私が出した結論は、もしあなたが大学で文系の科目を勉強したいならば、『総合大学』の理系学部に進学し、その卒業要件を満たしつつ、空いている時間に興味のある文系科目の授業に出席するのがコスパがいいということです。

正式な単位が欲しければ多少のお金を支払うことで、公式に授業を履修・聴講したり、研究指導を受けることができる制度も大学には用意されているので、文系学部への進学をしないと得られない経験が私には見当たりません。

文系学部へ進学すべきなのは、それらの学部を卒業したという証明書が欲しい場合ですが、それに当てはまる方はその分野の研究者になりたい人くらいではないでしょうか?

 

日本社会はポテンシャルを重視するがアメリカ社会はバックグラウンドを重視する

総合職という、その肩書からは何をするのかわからないポジションで多くの学生が新卒一括採用されるように、日本社会は学生が何をこれまで勉強してきて、何が出来るかということをあまり気にせずに人を採用する傾向があります。

これを肯定的にとらえると、日本社会はわりと門外漢に対しても新たな道を歩む機会を与えてくれる社会だと言えます。

アメリカ社会は日本社会とは逆に、企業に応募する時点で働くポジションは決まっていますし、応募者のバックグラウンドと応募条件はマッチしている必要があります。

つまりアメリカ社会では急なキャリアの変更は日本に比べて簡単ではないということです。

これは大学院進学に関しても言えることで、文系の学部を卒業して理系の大学院に進学するのは、日本では可能でもアメリカではとても難しい印象があります。

私は環境情報学部という、経済学部や工学部といった伝統的な名前のついていない学部を卒業したために、それが何かを説明するのにアメリカではしばしば苦労しました。

 

文系の勉強がしたい人はどの理系学部に進学するべきか

理系分野においても興味がある分野があればそれを選べばいいですが、高校時代の私のように特に理系科目に興味がなければ、コンピュータサイエンス(情報科学、情報工学)はおすすめです。

私の実体験ですが、理系学部への進学を避ける理由として、高校時代の数学や物理・化学への苦手意識があると思います。

その点コンピュータサイエンスはそれらとそれほど直接つながっておらず、大学からみんなでゼロからスタートの側面があるので、高校時代までの理系科目の不出来さをあまり気にする必要がありません。(参考:コンピュータサイエンス学部3年に編入する前の準備

実際のところ高価な実験器具を必要としないコンピュータサイエンスは多くの文系分野と同様に、家で一人で勉強でき、いい研究成果を出すことも可能です。(そのくらい勉強するための資料はオンラインで無料で手に入りしますし、最新の研究成果も公に公開されています。)

つまりコンピュータサイエンスを勉強するためには大学への進学は必ずしも必要ありません。

しかしアメリカでコンピュータサイエンスの大学院に進学したり、プログラマとして就職するためには『大学でコンピュータサイエンスの学位を修めたという証明書』は強力に働きます。

自分の能力を誰かに認めてもらうためにはそれを客観的に示すものがあるのが一番ですが、その点で大学の成績証明や学位というものは(いいか悪いかは知りませんが)アメリカ社会では日本社会のそれ以上に影響力があります。

自分の手を動かして得た経験を語らない自称専門家に用はない

この記事は前回のつづきです。

ご覧になっていない方はまずこちらからお読みになってください。

相変わらず反論が的外れな新井紀子教授

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私は本書を読んで、新井紀子教授が何を勘違いしているのか理解できました。

引用では省略しましたが、ここでいう『それらの画像』とはMRIやマンモグラフィのことです。

そしてここでいう『規格』とは、『どのような手法で画像を取得するか?』ということだと推測できます。MRIを使うかX線を使うかで、まったく同じものを撮影しても取得できる画像が異なるからです。

つまりここでは『撮影方法』の規格の話をしているのに、新井紀子教授はそれを『ピクセル行列で表された画像の表現方法』に異なる規格があると勘違いしているのです。

犬の写真とかいう見当違いの例を出しているのが何も理解していない証拠です。

ピクセルデータはどこまで行ってもピクセルデータです。

スマホのカメラで撮影した犬の写真を見て、それを撮ったスマホのメーカーやモデルを当てることは普通出来ないでしょう。

ピクセルデータには異なる規格という概念はありません。

新井紀子教授が画像処理のプログラムなど一度も書いたことがないのがよくわかるエピソードです。

画像認識や音声認識の最前線で戦っている何人もの優秀な研究者から直接確認したことですから間違いありません。

その研究者の方々の言っていることは正しいと思います。

間違っているのは新井紀子教授の解釈です。

また解像度が変わっただけで、学習したディープラーニングモデルが使えなくなるようでは実用に耐えません。

この問題に対するもっともシンプルかつ効果的な対応方法は、元画像だけでなく、それを拡大縮小させた画像も一緒に学習データの中に入れておくことです。(Data augmentationといいます)

実は新井紀子教授はこの問題に対する対応方法を本書の中で自分で書いています

回転しても拡大縮小してもやはりイチゴはイチゴで、解像度を下げてもやはりイチゴです。何を当たり前なことを、と思われるかもしれませんが、ここがとても重要なのです。膨大な教師データを作成しようとすると、普通ならとてつもないコストがかかります。でも、画像の場合は、一枚の教師データを回転したり拡大縮小したりすることで、教師データの数は一気に増えます。業界ではこれを「水増し」と呼んでいます。

これはまさに入力画像の解像度が変わっても学習モデルがうまく動くようにするための処理です。

しかし新井紀子教授はこれを水増しとよび、単に教師データ数を増やすための処理だと間違った解釈をしています

伝聞の伝聞に価値はない

『直接確認したことですから間違いありません』という言葉が先ほど出てきました。

専門家が言っているから信じるというのは良くない習慣です。特に博士号を持つ大学教授が言うべき言葉ではありません。

『聞いたから~だ』だと主張するのではなく、わからないものはわからないと素直に言えばいいと思います。

世の中のすべてのことに精通している人など誰もいないので、別に知らないことは恥ずかしいことでもないですし、もちろん悪いことでもありません。

むしろ博士や大学教授の言うことは正しいと思い込んでいる方は少なくないので、数学者や大学教授という肩書で間違った情報を流すのは社会にとって有害です。

今はだれでも最新の研究成果が記された論文に無料でアクセスできます。

自分が大切だと思うことに関しては、新聞やニュースなどの『伝聞の伝聞』を聞いて分かった気になるのではなく、できるだけ現場の人間が出している情報に直接あたることを意識する必要があります。

読解力があっても知識がなければ他人にいいように利用されるだけ

『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』は、子供たちの読解力を向上を目指すためにリーディングスキルテストを中学1年生全員に受験させるたいという言葉で結ばれます。

読解力はあるにこしたことはないと思いますが、私は十分な知識が伴わない単なる読解力は有害になることも多いと考えています。

新聞に書いてあることは常に鵜呑みにするべきですか?と問われれば、私の言っていることは理解していただけるのではないかと思います。

読解力があっても、書いてある内容を自分の知識と照らし合わせてその真偽を判断できなければ、他人に簡単にコントロールされてしまいます

読解力も大切ですが、それ以上に、自分の手を動かし、自分の目で見て知識と経験を増やし、自分で真偽が判断できる部分を増やすことこそが、もっとも人生を楽にするものだと私は考えています。

そのためには知識と経験がなによりも大事で、そのスタート地点に立つための準備が学校の勉強です。

新井紀子教授はAIの専門家ではない 『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』

新井紀子教授のAIやコンピュータに関する知識は素人に毛が生えた程度

新井紀子教授の『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』という本が大変売れているようです。

私も本を購入し精読させていただきました。

一言で感想を言うと、新井紀子教授のAI技術に関する知識はせいぜいAI関連ニュースに詳しい人レベルであり、そのベースであるコンピュータに関する知識もほぼ素人だということがわかりました。

『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』で彼女が描く未来のビジョンに共感するかどうかは読者それぞれの自由ですが、彼女のことをAI技術に関する専門家だと勘違いしている方が多いのは問題があると私は考え、こちらの記事を書くことにしました。

『コンピュータはすべて数学で出来ている』という勘違い

『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』からの引用です。

コンピュータはすべて数学でできています。AIは単なるソフトウェアですから、やはり数学だけで出来ています。数学さえ分かっていれば、AIに何ができるか、そして何ができないはずかは、実物を見なくてもある程度想像がつくのです。(中略)

論理、確率、統計。これが4000年以上の数学の歴史で発見された数学の言葉のすべてです。そして、それが、科学で使える言葉のすべてです。(中略)コンピューターが使えるのは、この3つの言葉だけです。

『コンピュータが使えるのは論理、確率、統計だけ』という主張は正しくありません。

私はエンジニアなので、口で言うだけではなく、誰にも客観的にわかる形で彼女の主張が間違っていることを示す一例を紹介します。

新井紀子教授がコンピュータに関する素人だということをエンジニアリング的に示す

『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』には以下のようなエピソードが出てきます。

「平面上に四角形がある。各頂点からの距離の和が一番小さくなる点を求めよ」

実際に図を描いてみるとわかりますが、人間だったら、「答は、対角線の交点だな」となんとなくわかります。証明もそれほど難しくありません。(中略)

先ほどの四角形の問題をコンピューターに解かせてみようとしたところ、いつまでたっても応答がありません。知人にお願いしてスパコンを使ってみたのですが同じ結果です。そこで理論計算をしてみました。すると、宇宙が始まってから現在までよりも長い時間を要することがわかりました。

これは数学的にいうと、四角形の頂点のGeometric medianを求めるという問題です。

以下の図では、白い線で表した四角形のGeometric medianを赤い点で表しています。

左の図のようにすべての頂点の角度が180度より小さい場合は、黄色で示した対角線の交点がGeometric medianになります。

右の図のように角度が180度より大きい頂点がある時は、その頂点がGeometric medianになります。

新井紀子教授は、人間は簡単に四角形のGeometric medianを見つけることができるが、その点が対角線上にあることを知らないコンピュータは、スパコンを用いても現実的にそれを見つけることはできないと主張しています。

しかしこれは明らかに間違っています

以下に四角形のGeometric medianをリアルタイムで計算するプログラムを書いたので、ぜひあなたの目で確かめてください



四角形がどのような形になろうとも、Geometric medianを示す赤い点は、常に対角線上(もしくは角度が180度より大きい頂点がある場合はその頂点上)にあるはずです。

このプログラムはGeometric medianが対角線上に存在するということはもちろん知らずに、あなたのコンピュータやスマホ上でリアルタイムにそれを見つけだしています。(追記:誤解されている方が多いようですが、黄色で示した対角線はみなさん人間が結果を検証しやすいように表示しているだけです。)

誰でも確認ができるJavascriptのコードなので、プログラムに興味がありPCやMacから見ている方はこちらから実際のソースコードを確認してみてください。(スマホからアクセスしている方はこちら

人間と異なりコンピュータプログラムは嘘がつけません

wikipediaによると、『Geometric medianを数学的に表す公式が存在しない』ことはすでに証明されているようです。しかしそのような問題も、コンピュータを使うとこのようにスマホ上でも一瞬で解くことができます。

数学的に解けない問題でもコンピュータは解ける、つまり『コンピュータはすべて数学で出来ている』というのは間違っているということです。

ちなみに、このGeometric medianの例は、各頂点からの距離の和が最小になる点を探すのが目的ですが、『何かを最小化する点を探す』というのはコンピュータで最もよく扱われる処理の一つです。

それに気がつかず、数学的に無理ならばコンピュータでも無理だろうと単純に考えてしまった新井紀子教授は、人生で一度もコンピュータを使って問題を解決したことがないとしか思えません。

コンピュータのすごさはHeuristicにある

Heuristicとはものすごく雑に言ってしまえば『試行錯誤で解く』ということです。

コンピュータのすごいところは、数学的・論理的に解けない問題でも、その圧倒的な処理量を用いて試行錯誤で答えを探し出すことができることです。

上記で私が示したプログラムはHeuristicの一つである『遺伝的アルゴリズム』という手法を用いています。ダーウィンの自然選択説に着想を得た手法です。

遺伝的アルゴリズムは数学理論に基づいていませんし、論理でも確率でも統計でもありません

wikipediaの『遺伝的アルゴリズム(Genetic algorithm)』からの引用を訳します。(カッコ内はオリジナルの英文です。)

遺伝的アルゴリズムは簡単に実行できるが、その振る舞いを理解するのは難しい。特に遺伝的アルゴリズムが実用的な問題に対して使われたときに、なぜ多くの場合に高精度な答えを導き出すのかを理解するのは難しい。

(Genetic algorithms are simple to implement, but their behavior is difficult to understand. In particular it is difficult to understand why these algorithms frequently succeed at generating solutions of high fitness when applied to practical problems.)

例えば 5x + 3 = 9 という方程式が与えられた場合、中学校では以下のような手順でxの値を求めるように習うと思います。
5x + 3 = 9 ⇒ 5x = 6 ⇒ x = 1.2
これは数学的にとても論理的なアプローチです。

一方でHeuristicの一つである遺伝的アルゴリズムは、例えば以下のような手順で5x + 3 = 9を求めます。

まず第一世代として、100個のランダムな数を生成する。

  1. 100個の数それぞれをxに代入して、5x + 3を計算し、結果が9にもっとも近くなった10個の数を選び出し、次世代の数とする。(環境に適応能力のある個体が生き残る
  2. 選ばれた10個の数からは、45(=10*9/2)組の数のペアを考えることができますが、それぞれのペアの平均値を取り、次世代の数に追加する。(環境に適応能力のある個体同士が自分と似た特性を持つ子孫を作る
  3. さらに45個のランダムな数を次世代に追加する。(遺伝子の突然変異
  4. この時点で10+45+45=100個の値が次世代の値としてセットされている。
  5. 1から4を何世代も繰り返す。そのうちに、5x + 3 = 9の答えであるx = 1.2に近い数だけが生き残る。

人間がやったら日が暮れてしまうようなアプローチですが、コンピュータはこのような作業を一瞬でやりとげ、答えにたどり着きます。

天気予報や空気抵抗を考慮した新幹線の形状の設計など、現実の世界で私たちが解きたい方程式は、多くの場合数学の公式だけを用いて解くことはできません。

そこでコンピュータの助けを借りてHeuristicに問題を解くのです。

Heuristicは数学的とも論理的とも言えないアプローチですし、答えにたどり着くという保証もありません

でもなぜかうまくいくのです。

人間は四角形の頂点のGeometric medianが対角線上にあることを知っていますが、五角形や六角形や、100角形のGeometric medianがどこにあるかを知ることはできません。

しかし先ほど示した私が30分で書いた50行にも満たないプログラムは、1000角形のGeometric medianもHeuristicに一瞬で見つけてくれます。

人間から見たら賢くないアプローチでも、それを超高速でこなすことで、人間が数学を駆使しても辿り着くことのできない答えにたどりくことができるのがコンピュータの強みです。

こちらはリアルタイムに八角形のGeometric medianを見つけるプログラムです。

もはや人間にはこのプログラムが正しい答えを出力しているのかどうかすらわからないでしょう。

しかしコンピュータは淡々と答えを導き出しつづけるのです。

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