文系少年がアメリカ理系大学院でPh.Dをとりシリコンバレーのプログラマになったきっかけ

11月 20, 2017

私は文系少年でした

理系を選択する人たちには、数学や科学好きだとか、子供の頃から電子工作やコンピュータを趣味としているといったイメージがあるのではないでしょうか?

過去の記事を読んでいただいた方にはわかるように、私は数学も科学も苦手で、科学や技術に興味のある家庭に育ったわけでもなく、大学3年生くらいまではどちらかというと政治や経済のような文系科目に興味のある人間でした。

私の学部の出身は慶応大学SFCというところで、そのころ話題になった分数ができない大学生がたくさんおり、私の当時の数学の知識も大学生としてはかなり残念なものだったと思います。

私はいわゆる付属高校の出身で、慶応大学の理工学部への進学も可能だったのですが、当時の私は理工学部とは化学の実験をひたすらやるところだと思っていたので、自分には向いていないなと思っていました。

SFCに進学することにしたのは、単純になんとなく新しいもの好きだというのが一番大きかった気がします。

 

私は手に職をつけるという考えでプログラマになりました

今はどうかわかりませんが、当時のSFCにはほとんど必修科目というものがなく、数少ない必修科目として一年生の時にプログラミングの授業を受けることが義務付けられていました。

私はそのときにたまたま割り当てられた『コンピュータグラフィックスを通じてプログラミングを学ぶ』というクラスで、学部時代の指導教授であった恩師に出会うのですが、本気でそれに取り組み始めたのは3年生になってからで、2年生までは建築やデザインのような授業を主に受けていました。

演習を中心とした授業は面白かったのですが、建築やデザインを辞めた理由は、先生の評価が主観的で、何がいいものなのかよくわからなかったのと、なによりも当時は就職氷河期真っただ中という社会背景があり、あまりお金を稼げる感じがしなかったというのが一番大きかったです。

就職が難しいならば何か手に職をつけなければいけないと、2年生の終わりにそわそわと考えはじめ、理工学部に行っとけばよかったなぁと当時考えながらも、とりあえずSFCでできる手に職系のスキルということでCGプログラミングを本格的にやることにしたのが、私がその後エンジニアとしての人生を歩んだきっかけです。

幸いにもそれまでの試験のために勉強する数学ではなく、実社会の問題を解決するための応用数学の勉強はおもしろく、また私は抽象的な思考が苦手なので、バグはバグとはっきり現実に向き合わせてくれるプログラミングという作業はとてもわかりやすくてよかったです。

 

30代半ばで少しわかったこと

過去の人生とその後の人生は必ずしもそんなに直結しているわけではない、ということはわかりました。

したがって現在の自分の立ち位置に迷いがあった場合に、別の道の方がうまくいくような気がするのであれば、過去や現在の自分にとらわれず新しい道を試す価値は大いにあると思います。

私は20歳の頃にお金を稼ぐ手段としてエンジニアになることを選び、そして去年その目的を達成したのでエンジニアの仕事を辞めました。もともと理系少年ではないので、エンジニアでなくなることにあまり未練はありません。

また新たないい出会いがあることを期待して、大学生の頃のようにいろいろやっています。

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