大人になることは楽しい

2019年末に考えたこと

子供の頃に好きだったことをずっとやればいいという記事以来、中学生の頃からを振り返っています。

アメリカ大学院出願から合格までという記事が最新で、2006年、24歳だったときのことを書きました。

細かく書けばいろいろなことがあるのですが、とりあえず自分が失敗したと思ったことや、事実ではないのにもかかわらず信じ込まされていたせいで損をしたこと、知らなかったせいで失った機会などを中心に書いています。

今後もしばらく現在の時点までのことについて書いていく予定です。

昨年は事故で友人を2人亡くしました。

先日38歳になりましたが、同い年のスポーツ選手は引退し始めています。

体の衰えは間違いなくきていて、自分もいつ死ぬかわかりません。

せっかくなので生きた記録を残しておこうと思います。

そして後悔しないように、今考えていることを書いて頭の整理をしようと思います。

24歳の時のプランと38歳の現在位置を乱文で

24歳の時に持っていたプランは、アメリカの大学院で博士を取って、年収1000万円でシリコンバレーの企業に就職し、3年働いて33歳でサラリーマンをやめることでした。

そして日本に戻ってミュージシャンになろうと思っていました

サラリーマンでの目標貯金額は1800万円で、300万円で家を買い、貯金を切り崩しながら年金がもらえるまでの30年間を年50万円で生きていく感じです。

このプランは今でも全然あきらめてないのですが、時間的には5年ビハインドです。

逆に現在の資産額は予定の3倍以上の6000万円ほどになってしまったので、不必要に時間をお金に換えてしまった感はあります。(投資を知ったのも大きい。)

最初の渡米からアメリカには10年間いました。

最初の5年が大学院で、残りの5年間がサラリーマンです。

サラリーマンの当初の予定は3年間だったので、ここで2年間ビハインドになりました。

その理由は仕事がおもしろかったので辞めたくなかったからです。

20代の学生だった頃は、一人で作業をするのが好きで、他の人と仕事をするのは苦手だと思っていましたが、就職してからはみんなで物を作るという事はとても楽しくて、かつ一人で作れない大きなものを作ることができるエキサイティングなことだと知りました。

似たような人間が力を合わせると、1+1は2でなくて3にも4にもなります。

この経験は大学の研究室のサイズだとなかなか味わえないので、自分はあまり大学に長くいることに肯定的ではありません。

楽しかった最後の仕事はVR、もっと具体的にはphotogrammetryで、写真から3Dデータを構築できることを知りとても感動しました。

2018年の夏は個人でもこのプロジェクトをやっていたけど、9月からサラリーマンを再開してからそのまま放ったらかしになっているので、これも再開しなければいけません。

サラリーマンは自分の時間がとられすぎるのです。

(7枚の写真から2018年ワールドカップの大迫選手のゴールを3D化してます。これは完全に幾何と数学だけでやってるのでディープラーニングを使うともっときれいになるはず。)

VRの仕事はアメリカでの2つ目の会社で、最初の会社はIntel(人生で最初で最後の大企業勤め)で、半導体の製造技術のためのComputational Lithographyのソフトウェアを作ってました。

たびたび書いてますが、私の20代は元文系の理系コンプレックスから始まってて、かつソフトウェアがこんなにインパクトがある時代が来るとは2006年ころは思わなかったので、機械工学で大学院にいったり、半導体とかの方がプログラマより格好いいなと思ってました。

しかし今振り返るとあまり楽しくなかったです。

VRを始めてから、やっと10年以上かけて、どのように自分が映るかではなく自分のやりたいことをやるのが一番幸せだという事に気づきました。

やっぱり自分の興味はコンピュータグラフィックスにあって、一概にプログラマといっても、画面に絵が出ないプログラミングは面白いと思えません。

ハードウェアの進化とディープラーニングを含むコンピュータビジョンアルゴリズムの進化により、ここ3年くらいでついにCGもソフトウェア開発のメインストリームにのってきました。

しかしつい最近までのソフトウェア開発の主流は、ワードやエクセル、ウェブ、スマホアプリといった感じで、この手の開発は簡単なのでつまらないです。(一般的にプログラミングやプログラマとしてお金を稼ぐために、コンピュータサイエンスや高校数学とかを知っている必要はなく、感のいい中学生なら十分できるものです。)

話を戻すと、そんな感じでVRの仕事は辞めたくありませんでしたが、先も書いたように既にプランよりも2年ビハインドだったので、とりあえず一回切らなきゃと思い上司と話をしました。

それが2016年の5月くらい34歳の時で、しかしその後自分たちのVRカメラを使ってハリウッドで映画を撮ったりとか、そういう面白い経験ができたりしたので、ズルズルと9月くらいまではいました。

別に転職でやめるわけではなかったので、とりあえず会社に籍を残したままにしろという上司のアドバイスで、leave of absence扱いで日本に戻りました。

34歳のうちに日本に戻りたかったのは、実は日本でやりたいバイトが一つあって、35歳になるとバイトは雇われないと思って急いでいた部分があります。

困ったことに自分はやりたいことが多いのです。(シリコンバレーは田舎過ぎてつまらないという人もいますが、つまらないのは場所ではなくその人の人生だと思います。)

そのバイトはやることが出来ましたが、20歳前後の頃と違って難しかったです。

難しかったというのは、同僚に面倒くさい人がいた場合に、自分が若ければヤバイ人がヤバイとわからないので、社会ってそんなもんかなとある意味受け入れられたと思いますが、年齢を重ねた分だけいろんな人を見ていて、ヤバいやつはヤバいやつだってわかってしまう分、面倒くさいなとシンプルに思ってしまうということです。

20歳前後の子たちは詰められててかわいそうだなと思いながらも、自分が文句言われているときは、1ミリも自分が悪いと思ってないにもかかわらず、「すみません」って神妙な顔をして言える自分の意外な社会性の高さ()を発見したりもしていました。

ちなみにこの経験で、35歳から未経験の人が雇われなくなる理由がわかりました。

自由なシリコンバレーのイメージとは違い、ハードウェア企業のせいかIntelは新卒採用主義で、例外を除いて中途採用はしていませんでした。

それは会社のカルチャーにフィットしない恐れがあるからで、外の世界を知る人間は扱いづらいという考えは洋の東西を問わないようです。

若いとなんでも受け入れてしまいます。

昔の徴兵といえば大体20歳ですが、それは体力があるというのもそうだけど、思想的にもまだ確立していないから使いやすいのだろうと思います。(余談ですがこのビルマ敗戦行記―一兵士の回想はとても面白いです。)

話を戻すと、そういう既にいろんなものを見てきてる自分がバイトの立場で働くのは難しかったわけです。

34歳まではコミュ障は傭兵として生きていけばいいというスタンスでやってきましたが、35歳になってようやく自分がやりたいことがあるならば、雇ってもらうのでなく自分ではじめなければいけないことがわかりました。

面倒くさいけど人を巻き込んでいかなければいけないんだなと感じました。

自分が作りたいものをみんなで作る形にしなくてはいけない。

だから今年からそこを覚悟を決めてやっていこうと思います。

サラリーマンを辞めた後のことを書くと、2016年の9月に日本に戻って、12月まではバイトして、その後はうちのパートナーがワールドトラベラーをやっていたので、それに2か月くらい加わりました。

2017年の2月に戻ってきてから、htmlのcanvasを覚えてマルチプレーヤーのジグソーパズルを作りました。

昔MSNメッセンジャーというLineみたいなアプリがあり、そこにあるマルチプレーヤーのジグソーパズルをパートナーと一緒にやるのが好きだったのですが、MSNメッセンジャーがサービス停止になり、かつ代わりのサービスが見つからなかったので自分で作りました。

2月末には例のleave of absence扱いになっていたVRの会社に戻ってこない?ってしつこく言われていて、リモートでいいならという約束で3か月働きましたが、モチベーションが上がらなく5月には完全に辞めました。

会社は翌年にliquidationになりました。

その後は自分のビジネスというものをやってみたくなり、6月からは先ほどのパズルにアフィリエイトを付けたりして、営業もいろいろやってみました。

わりとがんばれば人が集まることがわかって、売り上げも増えていきましたが、頑張っても月10万円くらいだなって思ったときに、サラリーマンだと簡単に100万円以上もらえてしまうので、お金のために興味のないビジネスをやるのは筋が悪いなと思いました。

能力の高さよりも宣伝力の高さの方が世間には圧倒的にインパクトがあるという記事を書いたこともありますが、自分のやりたいことを実現するためにビジネス的になることは必要ですが、ビジネスが目的になってしまうのは自分にとっては完全に本末転倒でした[ref]お金が欲しいならばシリコンバレーの大企業でのんびりサラリーマンをやってるのが一番です。[/ref]。

それに気づいたのが11月くらいなので、おそらく半年くらいはやっていたのだと思います。

このブログはその年の9月から並行して始めていて、自分の体験をシェアしたいなと思っていた部分と、他の人がどのようなことに興味があるのかというのもビジネスの延長でみられるかなと考えた部分もあります。

一つ学んだことは、興味は細分化していて、いわゆるクラスターが違うと見ている層が違うので、分野が違うといくら宣伝力が高くてもあまり意味がないという事です。

そんなこんなで、やっと会社を辞めてから1年と3か月過ぎた、2017年の年末からCGや音楽をもう一回始めました。

このときもまだいろいろと試行錯誤はしています。

先ほどの写真から3Dもこの時作ったものです。

2018年の5月に1年ぶりにシリコンバレーに行ってきたという記事あります。

ようやくやりたいことができ始めてきたころだったので、正直再びサラリーマンをやる気はなかったです。

ただ熱心に誘ってくれるのを断るのは難しいので、サラリーを吹っ掛けて、さらにうちのパートナーはその時日本にいたのでそれも言い訳にしたのですが、サラリーもパートナーも一緒に雇うというように、全部要求が呑まれたので断れなくなってしまいました。

人生は旅で、旅は楽しいけれど、旅人は何も生み出せない

それで1年間過ごして今年の9月。

それでまた今日まで、また旅してきてる感じです。

34歳で会社を辞めてから、今もですが、ずっといろんなところに住んでました。

旅をしてローカルのおばあさんたちと世間話をするのが好きです。

しかし旅行は楽しいけれど、家がないとプロジェクトは進まないことがわかりました。

やっぱり家は必要です。

とりあえず今月はシアトルに行きますが、日本に戻ってきたらそこに数年間は住むつもりで家を借りようと思います。

旅行はしばらく終わりです。

作ることに集中したいと思います。

お金のためにつまらないことをやらないように注意します。

水木しげる先生のご両親もそう言ってました。


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プロフィール

yu. (Ph.D. UC Berkeley)   

慶応大学環境情報学部を首席で卒業。日本のベンチャー企業で働いたのち、アメリカにわたり、カリフォルニア大学バークレー校にて博士号を取得。専攻は機械工学、副専攻はコンピュータサイエンス。卒業後はシリコンバレーの大企業やスタートアップでプログラマとして働いていました。現在はフリーランス。毎日好きなものを作って暮らしてます。

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