
1996年、中学3年生だったころ
幼稚園から高校までを振り返って、学校に行くのが好きだった記憶はありません。
別に嫌いだったわけでもないですが、学校に行かないという選択肢の存在に気づいていなかったのでただ行っていた感じです。
中学校までは基本的に勉強ができていたとはいえ、授業の時間が楽しかった記憶もありません。
特に小中高と一貫して国語の授業が苦痛だったのを覚えています。
中学校時代に唯一成績が悪かったのが国語でした。
いまでも国語の授業が何を目指しているのかわかりません。
一つだけ毎週楽しみだったのが技術の時間です。
1年生は木工、2年生は電気工作、3年生が金属加工とコンピュータだった気がします。
どれも楽しかった思い出です。
パソコンとの出会い
特に中学3年生になって、人生ではじめてパソコンを触ったのが楽しかったのを覚えています。
ずっとドット絵をかいてました。
私は当時体も小さく、運動ができなかったせいか、親も含めて周囲の大人に貶されることが多かったのですが、技術の先生だけはすごく自分のことを褒めてくれました。
当時は自分自身に自信がなかったので、大人に肯定されるという経験が当時の自分には新鮮でした。
特にその先生はまだ当時20代で、サッカー部の顧問の優に180㎝を超えるような高身長のハンサムだったので(薄い記憶だと彼女もギャルっぽかった)、そういう『The 陽キャラ』みたいな人に陰キャな自分の存在が肯定されたことが、うれしいというよりも不思議な感じがしたのを覚えています。
その先生は私の母に、パソコンを買ってあげて、普通高校ではなく高専に進学を考えるように勧めたそうです。
残念ながらその話を私が聞いたのはずっと後のことでした。
高専というものが世の中に存在することを知ったのも、高校生になってバイト仲間の高専生に出会ってからでした。
机上の空論よりも現場の人間の話
先生の雑談も面白いものが多かったです。
例えばこんな話がありました。
日本は、東日本では50Hz、西日本では60Hzと、交流電源の周波数が国内で異なる特殊な国で、昔は東日本と西日本で同じ電気製品を使うことはできませんでした。(例えば大阪から東京に引っ越す際には電気製品を持っていくことはできませんでした。)
第二次世界大戦後の復興の際には、これを統一する試みがあったのですが、日本の復興を遅らせるために当時日本を占領していたアメリカによりそれを邪魔された。
しかし日本人は賢いから、50Hzでも60Hzでも動くように電気製品側で対応することに成功した。
今では基本的にどんな電気製品も50Hz/60Hz両方対応です。
当時の自分は、自虐史観というか、日本は常に悪くてアメリカは正しいものだと思っていたので、そういう話は新鮮でした。
Connecting the dots
大人になってからの私はCGプログラマという仕事をとても楽しんでいます。
中学生当時はプログラマという仕事やプログラミングの存在すら認識していませんでしたが、この中学校の時の思い出にすこしConnecting the dots的なものを感じます。
あなたが中学生の時にやっておくべきこと
異性に優しく接すること。
周りに女性(男性)がいる環境は必ずしも当たり前ではありません。
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