理系アメリカ大学院留学1年が過ぎて最初の夏休み(2007年夏)
寮を出てアパートを借りました。
最初の1年は学校の寮に住んでいましたが、その理由は一日3食付きだったのが大きかったです。
初めての海外生活なので、学校以外のことは考えないで済む状態の方がいいと思ったからです。
寮に住んだおかげで何人か友達ができたので、それはそれでよかった面もありましたが、アパートに住み始めて、自炊ができることでQuality of Lifeが大幅に向上したので、最初からアパートに住んでおけばよかったなとも思いました。
Berkeleyは古い街で割とコンパクトなので、車がなくてもなんとなく生活ができ、アパートから歩いて5分のところにスーパーマーケット、15分歩くとTokyo fish marketという日系のスーパーがあって、お刺身や納豆、日本のお菓子も買えました。
このアパートにはその後卒業まで4年半住みましたが、おかげさまで自炊生活は日本にいた時とあまり変わらなかったです。
お昼ご飯は学校の近くで食べるので、ピザ・ハンバーガー・タイ料理のルーチンを繰り返していました。
今はかなり物価が上がってしまったかもしれませんが、自分が学生だった2010年前後は、学生街のせいか6-7ドルくらい出せば結構いいものが食べられました。
さらにお金を気にするならば、中華料理屋でチャーハンを頼めば3ドルだったので、今振り返れば格安です。
アパートから最寄り駅までも徒歩5分で、San Franciscoにも30分くらいで行けたので、Japantownにある美容院にも毎月通うこともできました。
うまくいかない研究
アメリカの大学院は給料がもらえるとはいえ、思っていたよりも安くて当初は焦ったのですが、夏休み中はフルタイム扱いにしてもらえたので、月に2500ドルくらいもらえて生活も安定しました。
当時研究室の学生は自分を含めて3人だったのですが、自分以外の2人はインターンに行っていたので、静かな研究室で過ごした気がします。
週に1度先生とのミーティングがあったので、そのとき以外はあまり人と話さなかったのかもしれません。
ミーティングでは、先生がおしゃべり好きだったのか知りませんが、毎回3時間くらい話していました。
当時はまだ研究というものがよくわかっていなかったので、言われるがままにプログラムを書いていました。
今振り返れば経験が全然足りていないので、この頃は全然うまくいきませんでした。
その後の個人的な経験から言えば、プログラムや何か具体的なものを作る前に、先にある程度論文を書いてしまう方がうまくいくことがわかりました。
研究者のゴールは何か物を作るというよりは論文を書くことなので、論文にまず一番時間をかけた方がいいというのと、書くことで自分の考えていることやロジックが明確になり、問題点に割と早い段階に気が付けるというメリットがありました。
ある程度実際にモノを作り始めてから問題点に気づくと、そこから無理やり修正しようとしてグダグダになってしまいがちだったのが当時の反省点でした。
prelimを受ける
とりあえず1年目の一番大切な目標はprelimに合格することでした。
落ちると修士号だけで退学です。
夏休みは3か月あり、最初の2か月は研究、最後の1か月はprelimのための勉強をしていました。
留学は最悪のスタートを切ったや少し落ち着いた留学2学期目で書いたように、1年目はprelimのために学部生向けの授業をたくさん取らなくてはいけなかったのが大変だった理由でした。
しかしprelimの問題は学部生の期末試験などと似たような内容となるので、直前にそれらの授業を受けた自分は結果としてそのメリットを享受することになりました。
試験対策のうち、唯一オペレーションズ・リサーチ (OR)の授業だけには出席することができなかったので、主にORの勉強していたと思います。
結果として試験には無事合格出来て、特に専門のManufacturingでは自分の点数が全生徒の中で一番良かったようで先生が喜んでいたのを覚えています。
要因はおそらく、先ほど書いたように直前に関連授業を受けたのは自分だけだったことでしょう。
それまでは、メンタル面も含めてどのくらいアメリカ生活を続けることができるかわからなかったのでミニマリストな生活をしていましたが、prelimに合格して少し安心したので電子ピアノを買いました。
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