理系アメリカ大学院留学2学期目(2007年春)
2学期目に履修した科目は以下の3科目。(成績表はこちら)
- ME 104: Engineering Mechanics II
- ME 124: Mechanical Behavior of Engineering Materials
- ME 122: Process of Material in Manufacturing
prelim (参考)の準備のため学部生の授業を3つ。
少し落ち着いたので研究も少し始められるようになりました。
履修科目と感想
ME104: Engineering Mechanics II
F=maの世界。
前に高校教育から数学という科目はなくすべきという記事でも書きましたが、微分・積分・微分方程式あたりは、数学という科目の中で教えるのは純粋な数学好き以外には興味を持ちにくいので、物理の中で扱った方がいい気がします。
ME124: Mechanical Behavior of Engineering Materials
成績はB。
材料力学の問題をコンピュータを使って解くのがメインの内容でした。
ニュートン法から始まって、遺伝的アルゴリズムやExplicit/Implicit methodを使って数値的に微分方程式を解いたりしました。
この授業はTarek Zohdiという先生が教えていて、数年後に彼が教えていた有限要素法の授業も履修するのですが、いままで出会った中で一番授業が上手な先生です。
他の先生との違いは、コンセプトを教科書的な方法ではなく、自分の言葉で伝えることができるという点だと思います。
それができるのは本当の意味で教える内容を理解しているからだと思います。
Berkeleyの大学教授になるような人は基本的に賢い人ばかりですが、その中でも彼はおそらくずば抜けて賢いと想像します。
ME122: Process of Material in Manufacturing
成績はA。
初めてAが取れた結果、2学期目終わってGPAが3.4となりました[ref]こんなGPAが低い大学院生は普通いません。自分はたぶん成績最下位で大学院を卒業したと思います。[/ref]。
prelimを受けるためにはGPAが3.3ないとダメだったので、ギリギリ生き延びました。
金属加工や射出成形から、3Dプリンターまで、世の中にある様々なモノの加工方法について学びます。
大学院に来る直前に働いていた会社ではこれらのためのシミュレーションソフトを作っていたので、わりと知識が最初からありました。
物(例えば金属)に力を加えて、形が変形し始めるときの応力(=単位面積当たりの力)を降伏点というのですが、前の学期で習ったCE130では降伏点というのは『超えてはいけない点』であったのに対して、こちらの授業では『越えなければいけない点』だったので混乱しました。
これはCE130は建物の構造の話だったので、『材料が変形しては困る』のに対して、こちらのME122は材料の加工、つまり『材料を変形させたい』ので降伏点に関する扱いが変わるわけです。
わかる人には、当時の私がいかに力学の知識が欠けた状態で大学院に入学したかわかると思います。
実際の力学特性の計算に関しては、授業ではとても単純な形しか扱わなかったので正直実用的ではないと思いました。
例えば採用されなかったザハの新国立競技場案のように、人工物の形は年々複雑になっていて、手で構造の計算などできないので、有限要素法などを用いてコンピュータで計算をする必要があります。
車のデザインを見ても、昔のものは四角い箱という無骨な感じであるのに対して、近年のそれは曲線がきれいになりました。
このデザインの変化は、前の学期のCS284でカバーされた『形を表現するための数学的ツールの発展』、ME124でカバーされた『新しい材料の開発』、そしてこのME122でカバーされる『新たな製造技術の確立』などの合わせ技によるものです。
つまりアートやデザインの発展は、デザイナーのセンスの向上というよりも技術が発展することによる恩恵が大きいです。
技術の発展によりアートの表現能力が上がるというのは昔からあることで、例えば浮世絵が白黒から多色刷りのカラフルなものに発展していく過程には、多色刷りに耐える質のいい和紙が生み出されたことが要因であると聞いたことがあります。
2学期目を終えての感想
悲惨だった1学期目に比べてとりあえず少しだけ落ち着きを取り戻した感もあります。
研究も始められるようになりました。
しかし研究プロジェクトのミーティングに出ても何を言っているのかわからないのはかなり困りました。
原因は英語だと思っていましたが、今思えば前提知識も足りていなかったので日本語だったとしてもわからなかったかもしれないです。
今ではいつのまにか英語もわかるようになりましたが、最初の数年間は他の人が話していることがわからなかったときに、それが英語のせいなのか、英語ではなく話の内容自体が本当にわからないのかの区別がつかなかったので、今振り返るとかなり難しかったです。
とりあえずプログラミングだけはできるので、そこだけはがんばってやってる感を出そうと奮闘していた日々でした。
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