文章を書くことが好きでないならば研究者は向いていない

他のことを考えられる余裕ができた理系アメリカ大学院留学4回目の夏休み(2010年夏)

前年の年末にQualifying Examに合格し、先学期が終わった時点で、あと1つだけ授業を取って博士論文を書けば卒業できるという状態まできました。

先学期もあいかわらず論文を書いていて授業は中途半端でしたが、論文はジャーナルに乗せることができたので、なんとなく先生にも最低限恩返しはできた気がしていました。

当時28歳で、20代のうちに日本でずっとやりたかったことがあったので、この夏休みはずっと日本で過ごしていたいと思っていたのですが、先生にかなり渋られました。

そのとき慶應の同窓会であるサンフランシスコ三田会 1で知り合った友人が、当時発売されたばかりのiPadのアプリを作るので、そのプログラムを書くという名目で雇ってもらうことになり、それを口実に夏休みの最後の1か月だけ日本にいられることになりました。

夏休み3か月のうち、最初の2か月は博士論文の最後のチャプターに相当する部分の理論づくりをしました。

細かいところを除けばこの夏休みに大体できていたような気がしますが、論文の完成は1年半後なのでなかなか進まないものです。

このあたりで研究者の一番大事な仕事は書くことであるということが認識でき、文章を書くことが好きでない自分に向いている職業ではないことがわかってきました 2

夏休みの最後の一か月は予定通り日本に戻り、iPadのアプリ開発をやりながら 3やりたかったことも最低限されたのでよかったです。

理想的にはやっぱり丸々3か月日本にいたかったなと思いました。

誰かに給料を払ってもらうという形になっている以上、なかなか体は自由にはならないものです。

当時の自分にアドバイスするとしたら、できるだけ早く種銭をためて自分でベーシックインカムを作ることを人生の早いうちに意識することです。

友人には投資を勧められたりもしていましたが、自分ではまったく調べる力もなく、投資ということがどういうものなのか、このころもその先5年後もわかっていませんでした。(そもそも20代はずっと貯金がゼロだったので、投資を知っても肝心のお金自体がなかったので同じですが。)

今振り返ればこの頃はリーマンショック直後で、全額借金してでもサンフランシスコベイエリアの家を買っていれば、今頃何倍にも値上がりしていましたね。

知らないと損することはたくさんあります

2010年の夏に考えていたこと

最近は野心がなく、年を取ったせいなのかと心配していましたが、当時の日記を振り返ってみて20代のころから自分には野心がなかったことがわかり、少し安心しているこの頃です。

いつも通りこの夏休みに書いていた日記を下に張っておきます。

飽きてきたのか短い日記が多いですが、相変わらず今とあまり考えていることが変わらないです。

ポジティブにとらえれば、変わる必要がなかったので幸せだったといえるかもしれません。

ありえないくらいに
2010年05月17日14:35
最近はさらに運気が上昇している。
運が悪い人分けてあげる。思えば自分は幼稚園の頃が一番暗黒だったな。たぶん自分の幸せの基準は自分の行動を自分で決められるかどうかだと思う。”やること”と”やらないこと”を自分で決めてきた17歳以降には嫌な思い出がない。
幼稚園、小学校、中学校、嫌な思い出いっぱいあるのにね。もう誰にも強制されないし強制させない。子供の頃に戻りたいと言う人もいるけれど、自分は子供の頃には絶対に戻りたくない。たくさんの仲間に出会えて、自分のことを必要としてくれる今は本当にありがたいです。
恥ずかしながら、
2010年05月31日17:25
自分は死ぬまでずっと自分探しの旅を続けてしまう気がします。
“friend”に対応する単語は『友達』ではない
2010年06月12日03:20

たぶん『知り合い』くらいだね。

下手すると『言葉を交わしたことがある人』くらいの意味しかないかもしれない。

日本語の『友達』に対応する単語は、少なくともアメリカの都会の英語にはありません。

なぜならそんなものはここには存在しないから。

あなたは『友達』が1000人いますか?

アメリカには”friend”が1000人いる人は腐るほどにいるよ。

アメリカの人は家族を大切にする?

違うね。

人種を問わずアメリカの人は家族くらいしか信用できないんだよ。

しかもその関係だって、日本人のいう友達関係よりも希薄です。

かわいそう?

そんなことないよ。

だってそれが彼らにとっての”普通”だから。

経験したことがないことは知らないんです。

人間関係に甘えがない。

だから仕事がしやすい。

だからみんなさびしい。

知らないものは知らない。
2010年06月13日01:26

年収20万ドルのアメリカのエンジニアの毎日の夕食はコーンフレーク+牛乳。

共働き世帯年収400万の日本の家庭で毎晩出される超ハイクオリティな夕食。

そのアメリカのエンジニアは日本の家庭の食事風景など想像できない。

その日本の家庭の人はコーンフレークで夕食を済ます人間の存在など想像できない。

愛されたことのない人は愛されるというのはどういうことか知らない。

愛されたことのない人に愛されるというのはどういうことなのか教える力なんてない。

でも知らないものを知らないままでも、”知らないものを知らないということ”を知らないんだから、別にこのままでいい。

We don’t know what we don’t know.
We don’t know that we don’t know what we don’t know.

知らないことは不幸じゃない。

ただ知っている人が知らない人よりもずっと幸せなだけだ。

どこでも仕事が可能になったって言うよりも、
2010年06月14日22:32

どこに行っても自分の生活を一緒に持ち込めるようになったという表現の方が、今の時代をよく表してるのではないかと思います。

働かなければならない限り日本に戻ることは当分なさそうな気がしてきました。

ここにはもう仲間がいっぱいいるし、そしてもう日本で働くのが怖い。

不思議なこと。
2010年06月17日23:54

自分のモチベーションがどこからやってくるのか知りたい。

たぶんお金のためじゃないね。(稼がないと生きていけないけど)
たぶんモテたいからじゃないね。(モテたいけど)
たぶん偉そうにするためじゃないね。(余計なことは言わないこと)

あ、でも”すごいね”って言ってもらいたいのかもw

違うかな??

わからない (‘-‘*)

今日も身近なあなたのためにがんばりますハート

ワールドカップを見てて思ったこと。
2010年06月20日11:50
みんな老けたね ^^;
戦う姿勢を少し出してみようと思った。
2010年07月05日13:01
そんだけ。
貧乏暇なしを地で行ってるな。
2010年07月10日18:19
希望がなかったらもうとっくにあきらめてる。
ここまで暑いならみんな夏休みとればいいんじゃねえの?
2010年07月21日17:37

一年中働いている必要って別にないよね。

美容院に行ったら、”すごく明るいですよね”って言われた。
自分はどう考えても暗い方だと思ってたから意外だった。

たぶん東京は挨拶ができない人が多いからだね。

面倒なことをたくさんやっておけば、
2010年07月23日00:40

それ以上面倒なことには今後出会わない。

だから面倒なことをもう少しだけやることにする。

Notes:

  1. 慶應義塾を卒業する最大のメリットは同窓会の結束がとても強いことです。
  2. このブログは無理してがんばっています。しゃべるほうが楽ならばそのうちYouTubeにうつるかも。
  3. 自分の経験がなさ過ぎて作業量をうまく見積もれず、中途半端なものになってしまい申し訳なかったです。

↑記事をシェアしてください!読んでいただきありがとうございました。

次の記事:

前の記事:


ご質問、ご意見、ご感想等はこちらから!


学費・生活費無料で行くアメリカ大学院留学

Luxury Trips - 無料のマルチプレーヤーオンラインジグソーパズル -


プロフィール

yu. (Ph.D. UC Berkeley)   

慶応大学環境情報学部を首席で卒業。日本のベンチャー企業で働いたのち、アメリカにわたり、カリフォルニア大学バークレー校にて博士号を取得。専攻は機械工学、副専攻はコンピュータサイエンス。卒業後はシリコンバレーの大企業やスタートアップでプログラマとして働いていました。現在はフリーランス。毎日好きなものを作って暮らしてます。

詳細プロフィールはこちら