能力も人生も時代が決める

6月 28, 2018

サッカーはマイナースポーツだった

ワールドカップで日本代表が活躍しています。

私が小学生の頃はいつも10時前には寝るように言われていたので、夜中に起きていることをはじめて許された1993年のワールドカップ予選はよく覚えています。

キャプテン翼という漫画が始まったのは1981年ですが、『なんでサッカーは世界では人気なのに、日本では人気ないんだろうね?』という台詞から物語が始まります。

また『世界の多くの地域では、ワールドカップはオリンピックよりも盛り上がる世界のイベントなんだ』と言われても、当時はピンときませんでした。しかし現在では、この言葉に納得できる日本人の方が多いでしょう。

日本代表がワールドカップに出場することは当たり前になりました。

1998年のワールドカップ初出場は大きなニュースでしたが、今では出場よりも、むしろ出場権を逃すようなことがあれば、そちらの方が大きなニュースになるでしょう。

年々個々の選手の技術的・精神的な成長がよく観察されますが、それは個々人の努力に加えて、日本にはプロのサッカーリーグがあり、日本代表がワールドカップに出られることが当たり前の時代ということがとても大きいと思います。

がんばれる環境がある時代だからがんばれる』というわけです。

プロのリーグがない時代から、何十年もかけてここまでの日本のサッカー環境を築いてきた人たちは本当にすごいと思います。

ちなみに私は小学校から高校まで野球をやっていたのですが、サッカーを選んでおいた方がよかった気がします。

あなたが運動が得意ならば、何でもそれなりにこなせると思うので好きなものをやればいいと思いますが、私のようにあまり運動が得意でない人はサッカーが上手くなっておく方が役立つと思います。

サッカーがメジャーではないと思われているアメリカにおいても、結局大人になって何かみんなでやろうとなるとサッカーです。

また野球では戦術が語られませんが、サッカーでは戦術が真剣に語られるので、サッカーの方が勉強が出来る能力が生かせるかと思います。

ちなみにアメリカでは性別問わず子供の頃はサッカーをやり、10代になるとほかのスポーツに移行することが多いようです。

 

9月からまたシリコンバレーで働くことになりました。

私は20歳の頃からこれまで、プログラマとして15年ほど暮らしてきました。

プログラマになったきっかけは文系少年がアメリカ理系大学院でPh.Dをとりシリコンバレーのプログラマになったきっかけという記事に少し書きましたが、どちらかというと消去法的な選択の結果でした。

当時の私は理学と工学の区別もついておらず、『数学科』と『応用数学科』の違いもわからないような状態で、とりあえず現在いる学部で手に職をつけられるものといった理由でプログラミングの勉強を始めました。

私が学部生だった2000年初頭は、オンラインで買い物をするような人はまだマイノリティであり、人によっては『ネットにはゴミみたいな情報しかない』と発言しても、それをはばかられないような雰囲気がまだありました。

そんな時代状況だったので、私自身の認識は『ソフトウェアは結局ハードウェアの付属物でしかない』といったものであり、いずれはハードウェアを直接設計するようなエンジニアになりたいと思っていました。

ソフトウェアをやっていたとしても、ワードやエクセルのようなオフィスツールや、FacebookやInstagramのようなSNSを作るのではなく、例えばロボティクスや組み込み系のようなハードウェアに関わるシステムに関わりたいと今でも思います。

大学を卒業し、産業応用のための物理シミュレーションソフトウェアを開発したり、大学院ではコンピュータサイエンスではなく機械工学を学んだり、その後は半導体の製造に関わる仕事をしていたりしていたのは、そういう個人的な気持ちが背景にありました。(今では私自身が理系にカテゴライズされる人間だと思いますが、それでもいまだ自分の中では頭の中は文系のままで、数学や物理に強い理系に対する憧れがあります。)

そのような中でもいまだに私がソフトウェアをやっているのは、一般にキャリアチェンジが難しいというのもありますが、それに加えて将棋のAIが人間を破ると言ったような、ソフトウェアのイノベーションがそれほど技術に詳しくない人でもわかりやすい形で見えるようになってきたという時代の変化も大きいと思います  1

また、たまたまソフトウェア産業が一番盛んな地域がアメリカにあるということが、私が英語を勉強するきっかけにもなったり、アメリカで暮らすという自分が10代の頃には想像できなかったようなことをすることになったきっかけだと思います。

つまり自分自身でそれを選んだという側面よりも、なんとなく時代に流されて結果としてそうなったという側面の方が強いと自分では思います。

昨年の5月にアメリカでの生活を引き払い日本に戻って、もうアメリカに行くことはないと思っていたのですが、半年くらい前からずっと誘ってくれていたスタートアップに行くことにしました。

まだ数人でやっているようなとても小さな会社なので新たな発見がありそうなのと、何故か知りませんがずっと誘ってくれていたので、とりあえず1年くらい試しにやってみようと思いました。

何十年も前でしたら海外に行くのはそれほど気楽なことではなかったと思いますが、現在では海外への移動はとても気楽なものです。

現代においては、先進国・途上国問わず、都市部であれば大抵似たようなものは手に入りますし、何よりもどこでも快適にインターネットにつながります。

このことはつい20年前にはそれほど当たり前のことではありませんでした

さらに昔の話をすると、私の祖母は1950年ごろに新潟から東京に出てきたのですが、当時は東京まで10時間近くかかったそうです。

今では新幹線で1時間の距離ですら当時はそんな状態なので、例えば1950年に九州から東京に移動するよりも、2018年に東京からシリコンバレーに移動する方がずっと気楽とすら言えるかもしれません。

そして1950年の九州の人間と東京の人間の世界観の違いよりも、2018年の東京の人間とシリコンバレーの人間の世界観の違いの方が小さい可能性すらあります。

未来は自分で切り開くものというのは常に語られる言葉ですが、結局多くはその人の生きている時代状況がその人の未来を決めている部分がとても大きいことを強く感じます。

Notes:

  1. 現在でもハードウェアにイノベーションが起これば、それは非常に強力なインパクトがあります。

    例えばLidarが一定時間に取得することのできるデータは、同じ場所から撮影したカメラで得られるデータに比べるととても密度が粗いですが、もしLidarがカメラ並みの密度でデータを取得することができるようなイノベーションが起これば、自動運転を始め様々な分野が大きく前進するはずです。

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