文系からでも科学者やエンジニアになれる

2月 1, 2020

すでに満足していた理系アメリカ大学院留学3回目の夏休み(2009年夏)

アメリカの大学院に留学していたころを1年目から振り返っています。

前の学期に書いていた論文が通って、それはBerkeleyにきてから初めての経験だったので、とりあえず自分がそこにいた記録が残ってよかったと思っていました。

夏休みの最後に弟の結婚式に出席するために日本に帰って、そこで自作曲を披露したのが自分の記憶の中ではこの時期の一番のハイライトで、学校で何をしていたのかほぼ記憶がありません。

次の学期が始まると日記を全然書いていないので、つかの間の休息だったのかもしれません。

パソコンの中のファイル更新の日付のデータを見ると、先ほどの論文のレビューを受けて手直しをしていたり、またPh.D candidateになるためのQualifying Examというのをその年の年末に受けようと決めていたので、そのための準備をしていたようです。

数学や物理を勉強する意味がまったく分からず落ちこぼれた高校時代から、文系に進学してから理系に転向しようとした自分は、ずっと理系コンプレックスを抱えていました。

その10年越しのコンプレックスが解消されたのがこの頃だと思います。

これまで見た来たようにあまり成績はよくありませんでしたが、時間さえあればわかるまでがんばれる自信が持てるようになっていました。

こちらの動画に出ている人たちを見ると、ヨビノリたくみさんをはじめ本当に科学が好きなんだなと思いますが、自分はいまでもそのようなタイプではないながらも、彼らの話しているような内容も理解しようと思えば理解できると思えるようになったという事です。

あえてこじつけるとしたら、理系は『科学好き』と『技術好き』の集まり(つまり『理系』=『科学好き』∪『技術好き』)で、自分は『科学好き』ではないけれど『技術好き』。

高校生までは『理系』=『科学好き』で、『理系』と『技術好き』は別のカテゴリ(つまり『理系』∩『技術好き』=∅)だと思っていたのが間違いだったかもしれません。

個人的には、高校までの数学や科学の教え方はあまりにも純粋学問すぎるので、高校教育から数学という科目はなくすべきという記事に書いたように、もっと応用を意識して勉強した方がいいとずっと思っていて、ここは自分が自分の時間を使って少しづつ行動してみたいなと思っているところです。

 

2009年の夏に考えていたこと

話を戻して、この夏休みに書いていた日記を下に張っておきます。

結構量があるので、私個人がどんなことを当時考えていたのか興味ある人だけ読んでみてください。

変わった部分と変わっていない部分がありますが、一番変わってしまったのは日本という部分との関わりについてですね。

当時は自分が日本とか日本人というものを特別に捉えていたことがわかりますが、今ではそういうものはなくなってしまいました。

それは日本や日本人がどうでもいいという意味ではなく、人を国籍や文化で区別するという習慣がなくなってしまったからです。

おそらくこの変化は、大学院を卒業し就職してから、様々なバックグラウンドを持つ人たちと働くなかで変わっていったことだと思います。

本当にいい人に囲まれて幸せです。

なんか本当にすげえ時代になった
2009年05月24日18:35
涼宮ハルヒの憂鬱の新作が放送されたというニュースを見たので
さっそく見てみたのですが、内容はともかくとして。。日本で放送されてからまだ半日くらいしかたってないのに(日本時間の22日の昼頃にこれ書いてます)、すでに英語の字幕がついたものが(もちろん違法ですが)ネットに存在していることに衝撃を受けました。自分がすごいと思ったのは、字幕をつけるという行為そのものではなく、字幕を短時間につけることに意味があるという日本国外での需要の大きさです。そしてそれを掘り起こしたのは間違いなくネット上に存在する違法動画。様々なコンテンツがネットで無料で見られるような時代になったのと対に、著作権の侵害問題があるけれど、実際産業的にそれ以前と比べて市場規模は縮小してるんですか?つまり業界で食える人間の数は減っているんですか?ときどき言われているように、ネットで見て、それで満足してしまう人というのは、仮にネットがなかったとしても、DVDやCDを買う人間ではないと自分は思うので、この辺を定量的に扱ったデータがあるのならば見てみたい。

結局違法アップロードの問題ってお金の問題だよね?
作り手はリスペクトされてるわけだから名誉の問題ではないはず。

いずれにしても確実にいえるのは、文化を広める、いい作品をたくさんの人に知ってもらう環境が圧倒的によくなった。

Xの海外進出。
Art of Lifeの頃だから93年かな。

多額の金をかけてプロモーションをしたらしいのだけど、失敗した。
ボーカルの英語の発音の問題とか言われてたけど、たぶんそれは根本的な要因じゃない。

当時は”聞いてもらう”ための手段があまりにもなさすぎた。

でも今やyoutube上の動画は英語のコメントばっかで、X JAPANのコピーバンドが世界中にいる。
日本語で歌ってんだぜ。

世界ツアーとかいって、香港はやたら盛り上がってたけれど、あの海外人気に貢献したのはネットの違法動画が大きいのは間違いなくて、具体的なセールス活動の結果ではない。

実際アジアやヨーロッパでのプロモーションなんてほとんどやっていないと思う。

早くカリフォルニアに来て!絶対行くから!
10年は余裕で待てるよ。

作り手はどっちがいいんだろうね?

違法とはいえ、自分の作品が世に知られる方がいいのか。
まあしょせん法律なんてごく一部の人間が決めたルール。

産業面でも、例え短期的に損害があったとしても長期的には絶対にいい気がする。
本当に力のある作品を作る人にとっては。

youtubeを使えば広告費は無料。
しかも即日、全世界配信。

ミュージシャンはmyspaceとか使ってるのかな。

結局困るのは中抜きしている人たちであって、作り手はいいものを作れる限り困らない。
作り手が直接それを楽しむ人と会話することもできる。

アーティストだけでなく、エンジニアも自分で動ける時代になったね。

いや、もうすべてが”情報”というもので表現されてる時点で、アーティストとかエンジニアとか区別する必要はないね。”情報”を生み出す手段はなんでもいい。

本当にいい物さえ作れば、それを他者に楽しんでもらうチャンスがある。
それだけ。

発展途上国と先進国の子供たちの差は、幸福の差ではなく、チャンスがあるかないかだけれど、それがついに取り除かれようとしてるんだね。

本当の意味でフェアになってきた。
チャンスの平等。

日本社会の支配者層は、この”チャンスの平等”への流れを必死で止めたがってるのが残念だね。
まあいくらあがいても無駄だけどw

名の知れたアーティストも今日デビューした人も同じ環境、同じスペース、とYOSHIKIも言っていた気がする。

涼宮ハルヒの憂鬱。

絵もきれいだし、ノスタルジックな部分もあって、このアニメすごく好きだけれど、もしネットの存在しない世界だったら、おそらくタイトルを知ることすらなかっただろうな。

放送されているのは深夜だから目にする可能性はほとんどゼロ。
仮に目に入ったとしても、オタク向けか、、みたいな感じであっさりチャンネルを変えていたでしょう。

ネットの違法動画のおかげで新しい世界に出会えました。

もしそれがなかったら、作品の存在すら知らなかったから短期的な市場への影響はゼロ。
それどころか作品にまつわるグッズを買ったらプラス。

これってどうなんですかね?

妄想で結論づけるけれど、産業的にはきっといい方向に向かってる。つまり市場規模はいわゆる違法アップロードコンテンツにより大きくなる。ただこの流れは、作り手以外の人間(≒日本社会の支配者層)の収入を減らす。これが結局キーでしょう。

 

技術と文化
2009年06月18日05:20

最近ドラゴンボールにはまりました。
やっぱりドラゴンボールは連続で見るに限るね。20年近く前のもので、アニメのクオリティはあまり良くない。セル画を使っていた頃は、多くのレイヤーを重ねることができなかったから、あまり書き込みができなかった。今はコンピュータを使うから、現実にはありえない”100%の透明度”が実現できるわけで、表現の幅も大きく広がっている。アニメを大人になって見始めたのは2年ほど前からだけれど、絵がずっときれいになったね。小さな頃のイメージで、アニメの絵はオリジナルの漫画に劣るって思い込みが強かったから。浮世絵も歴史的に見てみると面白い。1600年代のものは単色、もしくはそれプラス数色程度。その後だんだん時間を経てカラフルになっていくのだけれど、それは文化的なセンスの向上にくわえて、使える色の種類が増えたとか、複数回刷りに耐える丈夫な紙が開発されたことが大きい。携帯なんか見れば明らかだけれど、オブジェクトのデザインも自分が小さな頃に比べてずっとおしゃれになっていて、それは社会のセンスがよくなったことと、新しい材料の開発や、NC加工技術の進歩、多様な形状を表すことのできる数学表現が生み出された結果等が共にあるものです。技術と文化は一体。

あなたはエンジニア?あなたはアーティスト?
関係なく、なんでもやれたら楽しいよね。

エンジニアもアーティストもしょせん自称なり。
どちらも名乗るのに資格なんか要らない。

日本文化が、どんどんポジティブな意味で、得たいの知れない方向に変化していって欲しいし、変化させたい。

アメリカのサンフランシスコなんかにいると、自分が絶滅危惧種の生物のような気がしてきます。

別にこの環境にアジャストすることが嫌なわけではない。

ただ、だんだんこの環境に溶けていく自分を感じながら、それと同時に日本とか日本人ってのとつながってる部分が消えていくようで、そしてそれは非常にもったいないことなんじゃないかと思うのです。

ここは確かに文化的には多様だけれども、一言で言うと限りなく無色という方が近いと思う。
それが誰でも受け入れる雰囲気を作っているし、同時に非常に退屈なところでもある。
様々なエスニシティがうすーくぼんやりと共存している。そういう雰囲気。

自分だって100%のJapaneseをここでは晒さないし。
20%くらいかな。

無色だからアメリカの文化は世界中で受け入れられる。
マクドナルドもコーラーの味も世界中で受け入れられる。
灰汁がないから。

で、無色で灰汁がないから結局は退屈である。

アメリカ人のおしゃれもそう。
彼らはガッチリ固めてくる。

パッと見た感じかっこいいんだけど、それだけなんだね。

日本に帰るってのは帰省ってよりは、すごい楽しい遊園地に行くような気分です。

perfume大好き。

いまさらながらポリリズムは傑作だね。
http://www.youtube.com/watch?v=1vCcmeiFTHM

のっちのストールが欲しい。

技術が進歩してPVも楽しい。
昔は技術がなくて出来ることが本当に限られてるし、センスも古い。

1993年
http://www.youtube.com/watch?v=SRITGBlnoXY
2009年
http://www.youtube.com/watch?v=162BxkcSae4&feature=related

話それるけど、音楽的には小室哲哉の少ない音の数でこのグルーブを出すセンスは普通にすごいと思う。当時はいろいろと言われていたけれど。

perfumeはメイクやヘアも、次の時代を模索してる感じでいいな。
すっぴんメイクの方が普通にはかわいいのにね。

日本文化が次のフェーズにいけるね。

でも新しいってよりは流行にもサイクルがあるのかな。
YMOのtechnopolisなんか自分の生まれる前だけれど、今聞いてもかっこいいもんね。

こんなこと出来るんだ(technopolisじゃないけど。。)
http://www.youtube.com/watch?v=H0vA1NveCzc&feature=related

これDSの音源だけでこの音のクオリティなの?だとしたらすげえ。
ずっとDS欲しいんだけど、買ったらはまっちゃいそうで怖くて買えない。

これが”普通”の環境で育った子供たちは確実にニュータイプだね。

時代は流れるね。ものすごい速さで。
自分も流されるばかりで、何をやってるのかよくわからないけど、まあいいや。

畑を耕す覚悟は出来てるから。

シーケンサー買ってまた打ち込みやりたい!10年ぶりに。
曲作りも普通に再開できたし。

シーケンサーを買わないのも自重。今は我慢。だよね。。?
ぜったいはまるから。

結婚式用の曲はチャレンジしにくい。
ピアノしか使えないし、聞きやすくないといけないし。

でも自動作曲のプログラムなんか組むのもいいかも。
せめてもの抵抗として。

時代が進んで、どんどん可能性が広がって、楽しいねヽ(=´▽`=)ノ

がんばれ!もっとやれ!!

文法を意識すること
2009年06月20日14:47
自分は日本語を教えることは出来ない。
普通のアメリカ人も英語を教えることは出来ない。文法を知らないから。日本人ならば、みな日本語がSOV型(主語-目的語-動詞で文が構成され、英語ではSVO型(主語-動詞-目的語)であることを認識していると思います。インド人は、人によっては小学校から英語で授業を受けるのだけれど、それとは別に民族ごとのネイティブ言語がある。ここでネイティブ言語とは自分の家族と話す言語と定義しておく。

自分の確認したところマラーティとタミルは、SOV型だそうです。つまり日本語と一緒なんですが、自分が驚いたことは、自分がこの話題を持ち出したことで、彼らがそれに初めて気付いたということです。彼らは驚いたように言うのです。初めて気が付いたwって。その反応にこっちがビビるからw

つまり彼らは自分たちのネイティブ言語と英語の文の構成の違いを認識していないのです。
彼らにとっての英語も後天的に学習で身につけたものであるのに関わらずです。

逆に言うと日本人がそれを知っているのは、学校でそういう風に習うからなのかな?

確かに自分も英語を使っているときは、そんなものを意識せずにしゃべったり書いたりしているわけだから、知らなくてもおかしくはないのかな。

日本語の文法なんか自分はほとんど知らないけれど、日本語を話せるし正しく書けてる、はず。。

日本で話されている言語は一つなのか?とはよく聞かれるけれど、いつもどう答えて言いかわかりません。少なくとも津軽弁と琉球方言の意思疎通はほとんど不可能でしょう。

でもたとえば下北半島と沖縄のおばあちゃんそれぞれに、あなたのしゃべってる言語はなんですか?って聞いたらたぶん日本語と答えるんだろうなって思う。

方言と言語の違いがよくわからないけれど。

文法の差が大きくなければ方言?
文法の差をどう定義するのかもわからないけれど、この辺も突き詰めるとおもしろそうですね。

ああインド行きたい!もう一段階向こう側の世界に行きたい!

もののあはれ
2009年06月24日13:45
そろそろお別れ昭和とバブル
平成不況を共にした
アナロ熊 アナロ熊
また会う日まで

ピアノで弾きながら切なくなってます。

バブルって全然知らないけど。
不況とかよばれる社会情勢が自分の世代にとっては”普通”です。

当時のファッションは今見るととても下品ね。

こっちも好き。

眞寫動活 ニオヂラ正大
ヤニオヰパの化開 ハ字ノ [イ]
熊ヽ 熊ロナア
來未ク輝

涙ノ戰 亂動ノ和昭
ハレガコア 年少眞純
熊ヽ 熊ロナア
や夢き儚

皆が 夢追い走った時代
帰る 我が家の団欒と
アナロ熊 アナロ熊
幸福の星

日本の時代と共に走った
夢と 涙を共にした
アナロ熊 アナロ熊
また会う日まで

全然関係ないけど、横書きは戦後に左から右に変わったと思いがちだけれど、実は戦前には横書きってのは存在していなくて、縦書きの一行に一文字ずつ書いたものが、右から左の横書きに見えるだけなんだよ。知ってた?自分は最近知って感激した。

こちらに来てアニメを見始めたきっかけって、ずっとハルヒだと思い込んでたんだけど、実はそうではなくて、絶望先生のアニメ化だったことに昨日気が付きました。

先生とおんなじメガネが欲しいって思ってた気がする。

放映日を振り返ってみると、2年弱前だからそんな昔でもないんだ。。
当時の記憶が全然ない。怖い。

どんどん昔のことは忘れてしまう。ほんの少し前のことも。
20歳くらいからずっとこんな感じ。

これってやばいよね?病気なのかな。
本当に覚えてないんです。

だからこれまで書いたこともなかったこともなかったことにされてしまうかもw
無意識にしろ意図的にしろ。

最近日本のニュースを見ると大雨警報が多いですが、今なんだか土砂降りが懐かしくてしかたないです。あの派手に降ったあとの、夕方の雲の色や、雨にぬれたあとの葉のにおいが、季節が変わっていく様を感じさせてくれるよね。だいぶ暗くなってきた頃に、虫の声を聞きながら歩いて帰る、なんてだけですごく風流です。

忘れてしまいそうで悲しい。

ここはパッと見すごく素敵なところだけど、一年中あんまり変わらないのが残念だね。
見られる雲の種類も少ないし。っていうか種類とかないかも。

日本の夏の雲が見たい!

なんたる迷惑であることか!
2009年06月27日14:20

ひとりになれる場所を探してアメリカに来たのかもしれない。

雑音がなくて楽です。
誰も自分のことなんか気にしません。

大学院にいるのはアメリカにいるための手段。
日本だったら行かないから。

研究するのはお金をもらうための手段。
アカデミックコミュニティは苦手。

つくづく自分はニートと呼ばれる側の人間だなと思います。
彼らの論理がよく理解できるもの。

ただ彼らの言うことが、”社会で普通に生活”している人たちの神経を逆なでする理由もなんとなくわかります。

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100年前のニートの戯言 – 明治四十二年(1909年)

「何故働かないって、そりゃ僕が悪いんじゃない。つまり世の中が悪いのだ。もっと、大袈裟にいうと、日本対西洋の関係が駄目だから働かないのだ。第一、日本ほど借金を拵らえて、貧乏震いをしている国はありゃしない。この借金が君、何時になったら返せると思うか。そりゃ外債位は返せるだろう。けれとも、そればかりが借金じゃありゃしない。日本は西洋から借金でもしなければ、到底立ち行かない国だ。それでいて、一等国を以て任じている。そうして、無理にも一等国の仲間入をしようとする。だから、あらゆる方面に向って、奥行を削って、一等国だけの間口を張っちまった。なまじい張れるから、なお悲惨なものだ。牛と競争をする蛙と同じ事で、もう君、腹が裂けるよ。その影響はみんな我々個人の上に反射しているから見給え。こう西洋の圧迫を受けている国民は、頭に余裕がないから、碌な仕事は出来ない。悉く切り詰めた教育で、そうして眼の廻るほどこき使われるから、揃って神経衰弱になっちまう。話をして見給え大抵は馬鹿だから。自分の事と、自分の今日の、ただ今の事より外に、何も考えてやしない。考えられないほと疲労しているんだから仕方がない。精神の困憊と、身体の衰弱とは不幸にして伴なっている。のみならず、道徳の敗退も一所に来ている。日本国中どこを見渡したって、輝いてる断面は一寸四方もないじゃないか。悉く暗黒だ。その間に立って僕一人が、何といったって、何をしたって、仕様がないさ。僕は元来怠けものだ。いや、君と一所に往来している自分から怠けものだ。あの時は強いて景気をつけていたから、君には有為多望のように見えたんだろう。そりゃ今だって、日本の社会が精神的、徳義的、身体的に、大体の上において健全なら、僕は依然として有為多望なのさ。そうなれば遣ることはいくらでもあるからね。そうして僕の怠惰性に打ち勝つだけの刺激もまたいくらでも出来て来るだろうと思う。しかしこれじゃ駄目だ。今のようなら僕はむしろ自分だけになっている。そうして、君のいわゆるありのままの世界を、ありのままで受取って、その中僕に尤も適したものに接触を保って満足する。進んで外の人を、こっちの考え通りにするなんて、到底出来た話じゃありゃしないもの —」

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これはひどいw

ニートな人たちを社会は放っておいてあげることはできないんですかね?
人畜無害だと思うんだけど。。

アイデンティティのコップ - 緑茶とcoke –
2009年07月02日15:13

green teaという名前のついた飲み物があるのですが、日本人の想像するそれとは違って清涼飲料水の甘さで炭酸がきいているという代物です。

自分のコップの中に知らない間に砂糖や炭酸を注ぎ込まれ、自分でも知らずのうちに入れているのかもしれない。

いくら砂糖や炭酸を入れてもcokeにはならないんだけれど、でもそれは緑茶とはもはや呼べない得たいの知れないものになっているのかもとも思います。

アイデンティティのコップ、二つ用意できればいいんだけど、いまのところ一つしか持ってないみたいです。

微妙に甘くて炭酸が入ってしまったこの緑茶に、これからもっと砂糖や炭酸をいれるべきなのですか?

一つ言えるのは、もう混ざって溶けてしまった部分は元に戻せないということです。

ここで暮らすには炭酸が効いていて甘みがあることが大事なのです。
そうじゃないとここの人は飲めないのです。

少し苦味のある緑茶では難しいのです。

でもいくら砂糖を入れても炭酸を入れても色は緑色のまんまです。
cokeの色にはなりません。

それを自分で受け入れることができる覚悟が必要なのかも。

日本人が飲んだら絶対おいしくないと思う。

それが心配です。

日本人たらしめるもの
2009年07月03日16:02

こんなの見つけた。

フォト

大体当たってる気がするw

中国人は言語でつながるらしい。

たとえば複数の中国人と一緒にごはんを食べに行くとする。彼らは中国人以外の事など構わずに中国語で会話する。中国語がわからない人の気を使うとかそういう概念一切なし。彼らに悪気はないw

韓国人は血のルーツでつながるらしい。

韓国人以外と結婚したら、自分の母親は自分のことを殺す!
冗談だと思っていたけれど、こういうことを言う韓国人はいる。

日本人は何でつながってるのかな?

自分は土地なんじゃないかなって最近思います。
もっと具体的に言えば自然や四季を含めた日本の風景。

日本人の苗字はみんな自然や風景から来ているね。
そうじゃない苗字を探す方が難しい。

これは日本人が土地と密接に結びついた人々であることをよく示していると思います。

たとえば中国人は全然土地に執着がないように感じます。
世界各地のチャイナタウンを見てると。

他人が作り上げた土地にやってきて、自分たちの島を築く。
彼らにとって生きるってのはそういうこと。
彼らに悪気はないw

日本列島を離れた日本人は、日本人のアイデンティティを失っていくような気がします。
これはいくら血のルーツが100%日本人であっても関係がない。

逆にどのような血のルーツを持っていようと、日本の風景に何か意味を見出すことがあるのならばそれはもはや日本人なんだと思います。

『日本の夏の空気を持ってきてください♪』

I’VE LED A LIFE FULL OF DISGRACE.
2009年07月13日16:53

> 対人恐怖症は、恐怖症のひとつであり、患者は社会的接触を恐れ、それを避けようとする症状を示す。また、その結果として、社会的生活に支障をきたしたり、生活において必要な人間関係の構築が十分できなくなったりする。日本特有の文化依存症候群とされ、そのままTaijin kyofusho symptoms (TKS) と呼称されている。

> 西洋社会において一般的な、自身に対する攻撃や、社会的な不器用さのため他人によって非難されると言った他律的な恐怖より、むしろ他人を傷つけるか、迷惑をかける、怒らせてしまう自分自身に対する自律的な恐怖という症状が見られる。ルース・ベネディクト的な、「罪の文化(guilty culture)」に対する、「恥の文化(shame culture)」の表出とも解される。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BE%E4%BA%BA%E6%81%90%E6%80%96%E7%97%87)

> it is not prevalent in American culture
(http://en.wikipedia.org/wiki/Taijin_kyofusho)

アメリカではあまり見られないとな。

自分は別に社会生活を送れないほど困っていないけれど、これを多少なりとも患ってるのかなって最近思った。

小さい頃は電話をすることや、おつかいを頼まれたりすることがすごく嫌だった。

いまはそんなに思い煩うことはないけれど、。

でもアメリカに来てからこれまた繰り返してます。

アメリカに来たばっかりの頃は、すごく電話が嫌だったし、普通に買い物に行くのもすごくナーバスだった。

新しい社会に来て、20歳半ばでまたはじめてのおつかいって感じ。

3年たって最近はそういうのは減ってきたけれど、何か新しいことをしなければならないって度にこういう気持ちには今でもなる。

先週は連日あんまり親しくない人たちと仕事上の重要な話をしなければならなかったけれど、親しくない人と一日で会話できる量って自分の場合決まってます。

で、それを超えるともうぐったりだよ o(´д`)oァーゥー

それに加えて言葉の問題があるから、相手の言ってることがわからないかもって思ったり、自分の言いたいことがうまく言えないかもしれないっていう恐さもある。

一つのメールを書くのに一日かかっちゃったりして。

なんか疲れきって今週末風邪ひいたw

英語そのものが問題になることは今さらあんまりないけれど、それでも言葉って端折られるから、状況がわからないと相手の言ってることがわかっても意味がわからないことがある。

スーパーのレジで

“Plastic, Sir?”

って言われるんだけど、どういう意味かわかる?

今でも覚えてるけど、アメリカに来て初めてスーパーに行ったとき戸惑ったよ。

Plastic, Sir? = 「品物を入れる袋には紙袋とビニール袋があるけれど、プラスチックの袋でいいですか?」

って意味なの。

アメリカのスーパーは日本と違って、袋に店員さんが買ったものを入れてくれて、かつビニール袋か紙袋かの選択肢がある(たぶんビニール袋の強度が日本のに比べて弱いから)。

でもこのシステムがわからなかったら、”Plastic, Sir?”だけじゃ意味わからないでしょ?
plasticなんか日本語で使われるようなポピュラーな単語なのに。

日本のスーパーの感覚だったら紙袋はまず出てこないから想像が働かない。

いま思い出したけど、コンビニとかでもらう袋って日本だと”ビニール”袋って呼ばれるよね?

英語だと”plastic” bag。
これも混乱に拍車をかけた記憶がw

あとこういう使い捨ての袋も”bag”と呼ばれるって知識もなかったのもトドメをさした気がする。。

日本語でバッグっていうと使い捨てじゃ絶対無いじゃん?

で、いろいろ書いたけれどなんでナーバスになるかって、自分の場合はやっぱり相手に迷惑をかけたくないってのが大きい。

「目の前で誰かが自分に関する事でダメージを負うのならば、自分が犠牲になった方がずっといい。」

何かうまくいかないときにこういう物言いを自分はよくするけれど、もしかしたらここの人には理解されていないのかもって思いました。なぜなら

> Taijin kyofusho is a Japanese culture-specific syndrome.

いままで他の人もこんなもんなのかなって思ってたけれど、

> taijin kyofusho affects 10-20% of the Japanese population.

ってことは、日本人でも少なくとも80%の人はこういう考え方をしないのか。

うらやましい。

見た目のコンプレックスもある。

日本にいたときからあんまり自分の見た目が好きじゃなかったけれど、こっち来てからは人種の問題も出てくる。

自分が外国人だったとしても、たとえばドイツ人とかで見た目が白人だったらもっと気持ちは楽なのかなとかって思ったりもする。

> 対人恐怖症は引きこもりを伴うことが多い。

自分はぎりぎり引きこもりではないね。
でも外こもりってやつかも。

うちの母親は、子供が外に出て行くように家の居心地をあまりよくないように意識した、って昔言っていたけれどそれは正解だったよ。

居心地がよかったら自分は確実にニート引きこもり路線だったと思う。

恥の文化。

“血”じゃなくて”文化”。

ハーフナー マイク
http://www.avispa.co.jp/html/player/mike08.html
(http://www.avispa.co.jp/html/player/FW20.swf)

ハーフナーの血は100%白人だけど、完全に目の泳ぎ方が日本人。
実際日本人なんだけどw

人を作るのはやっぱり環境だね。

日本社会の秩序は確実にこの”恥の文化”って奴で保たれてるのだろうけど、自分には効きすぎてます、。

だから人間関係の距離感を保つのが下手。
KYってやつ。

ここの人みんなフレンドリーだから、すごくみんなニコニコ接してくれるけど、それに応えられないorz

でもどんな人でも話し終わったあとには、いっつも話をしてよかったなって思える。

だからナーバスになる必要は本当はないんだろうけどねぇ。

恥の文化ってのを西洋の罪の文化に対して最初に見出したのが”菊と刀”(http://en.wikipedia.org/wiki/The_Chrysanthemum_and_the_Sword)って本らしい。
http://en.wikipedia.org/wiki/Shame_society

これは高校生の頃からちょっと興味があった本。

日本語バージョンだと大事なところが削除されていたり、誤訳も多そうなので、今度オリジナルを読んでみようと思います。

いまハルヒ読んでるから、とりあえずその後ね。

江戸の「いき」
2009年07月19日07:36

『ハゲタカ』って映画が流行ってるのに反応して、ドラマを見てみた。

本物の外資ファンドはもっとエグイんだろうな (-_-)
そして本物の日本の会社はもっと情が物事を左右するところだね (T_T)

ドラマ自体はおもしろかったですが、すっかり忘れていたサラリーマン時代を思い出しました。

もう絶対やめる!ってゴネたとき、『履歴書に穴が開くのはよくないから、休暇扱いにしたら?』とか、『疲れたんだね、何ヶ月か休んだら?』とか、いろいろと自分の人生を気遣ってくれた思いやりのある言葉を掛けられたけれど、ああいうのって日本ならではなんだろうな。

会社が家族みたいな感じ。

このことをこちらで話すと、『なんていいシステムだ! だって家族を解雇することなんてできないだろ?』などと言われるけれど、どの家族にも加えてもらえない人が増えている昨今の日本社会では残酷な面の方が際立つような気がします。

自分はもう家族に加わることはできません。

「あのとき、11年前、私はただ側で見ているしかなかった。
鷲津一人がいままで、罪の意識を一心に背負ってきました。
私にも罪を償う機会を与えていただけませんか。」

日本人は権利を主張する前に義務を主張してしまう。
これは組織が健全に機能している場においては立派なことだとは思う。

ただこれを支配層に悪用されてしまっているのが現代日本人の不幸なところです。

“やりがい搾取”なんて言葉を最近知ったけれど、うまい表現だね。

『お前は好きな技術のことばっかやってられるんだからいいだろ?
仕事はお金じゃないんだ。』

言われたね。

ただそれはある意味やさしさでもあったなと今は感じるので、非常に複雑な思いではあります。

日本の労働環境の不幸は、仕事とお金がリンクしていないところ。

何よりも情の概念が物事を決定する上で最上位である。

情の概念はものすごく愛せるけれど、これをシステムに採用すると、内側の人には優しいけれど、外側の人にはどうしようもない絶望感を与える。

平等という名の下の絶対覆すことの出来ない不平等。

ビジネスとしてみた場合に、この先行き不透明な時代には厳しすぎるシステムです。

会社、そして政府が、”健全”に”永遠”に存続してくれるならば、ずっと言われたとおりにしてるのも構わないけれど、そんなの信用できるわけがないw

普通に来ると思っている明日だって、ギリギリで平和にやってきているだけなのかもしれない。

カリフォルニアはちゃんと来月くるのかな?w

ああ!本当に不安で不安で仕方ないwww
わざわざ面倒くさくて、不安定な方向に行こうとしてるのは自分だけどw

でも江戸っ子商人4代目。
これが江戸の「いき」ってやつなのかな?

ずっと好きなことをやっていられればいいけど、納得の行かないことは社会には多いし、お金も生きるために稼がなければならない。

結局自分の人生は納得のいかなさから離脱することの連続です。

だから社会を知らなければいけない。

技術に執着するのではなく、ちゃんとお金の交渉ができなきゃいけない。

お金ってのが何なのか知らなければいけない。

アメリカ人が本音と建前をガッチリ使い分けてくるのをわかった上で、お互いに得をする道を見つけなくてはいけない。

きっと今は自分の環境整備中5年目。

環境に適応するってのは楽だけれど、それは最終手段としてとりあえず置いといて、オプションは、変えるか、作るか、理想の場所を探すかの選択。

変えるのは面倒。

そもそも変わらないのは現状維持の方が都合の良い人間が多いから。
民主主義です。過半数の人が支持している仕組みに文句をつけようとは思いません。

作るのは厳しい。

日本社会の持つ排他性の中でも、若さってのは排除される大きな要因の一つ。
若いときは日本にいないほうがいいかもって思いました。

いい場所を探す。

じゃあアメリカに。

日本と変わらないかもしれないし、状況は悪くなるかもしれない。

でも行かないのは0点。
行ってみてダメでも100点。
行ってみてうまくいったら120点。

やってみなければ始まらないね。
引きこもりに無理させるなってのw

自分の目で確かめて、自分で考えます。

そして(たぶん)日本で自分の居場所を作る。

ぬこと嫁と俺で商売するのが夢。(* ̄ー ̄)

コンシューマ向けソフト屋、コンテンツ屋が今後食っていくためには
2009年07月26日08:24

今日はなんか寒いなと思って気温をチェックしたら12℃ (53°F)。

\もうね、アボカド/ \バナナかと/
┌┐
ヽ           / /
γ⌒^ヽ       / / i
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U”U

感性がほとんど空っぽになっているのをあからさまに感じるこの頃。

なんで自分がアメリカに来てからアニメを見るようになったか思い出しました。

アメリカに来て一年たち少し落ち着いてくる。

ニコニコ動画が世に出る

絶望先生アニメ化

このアニメは絶対ニコニコで見たほうがおもしろい

絶望先生の曲をピアノで弾く動画にはまる。

神が楽譜をうpしてくれるので、自分で弾いて楽しむようになる。

組曲ニコニコ動画の楽譜もまたうpされる。

名無しさんたちによりその楽譜のクオリティが勝手に上がっていく

何回も弾くうちに原曲が気になる。

日本のサブカルチャーがエキゾチックすぎる。

アニメを英語で見れば勉強になるんじゃね?

有名どころを見る。

ヲタ文化にはまる。

The Melancholy of Haruhi Suzumiya, Vol. 1,
Sayonara, Zetsubou-Sensei 1: The Power of Negative Thinking
Sayonara, Zetsubou-Sensei 2: The Power of Negative Thinking
がここ2ヶ月で立て続けに発売。

とりあえず全部買った。

読んでる。 ← 今ココ

英語がうまくなる。

“That’s classified♪”

というわけで絶望先生やハルヒの本を買いました。
もう三週間くらい前の話だけど。

そして最近perfumeのピアノ楽譜も買いました。

自分が絶望先生やハルヒ(なんか今エライことになってるけど)、perfumeを楽しむようになったきっかけは違法アップロード動画です。

少なくとも自分に限って言えば、前にも書いたけれど、これら違法アップロードコンテンツがネット上に転がっていなければこれらを知るチャンスがなかったので、著作権保持者に損害を与えることはなかった。

そして今結果として、自分がこれらを購入することで著作権保持者(の一部)にお金がいっている。

デジタルコンテンツは簡単にコピーされてしまうけれど、そのメリットに注目すれば、やっぱり普及させるこ
と、宣伝力はすごい。

普通に著作権違反としてこれを禁止してしまう流れは、長期的にはやっぱりもったいない気がします。

コンシューマ向けコンテンツはソフト屋がメインを張れる場である。

いまや車をはじめどんな機械でもコンピュータ制御だけれど、ハードウェア組み込みのソフトは、しょせんサブといったイメージがぬぐえません。ソフト屋としてはソフトもハードと同じくらい大事だと思うんだけど、ソフトはあくまでも付属物として扱われるのがまだまだ普通のようです。

日本でサラリーマンをしていたとき、上司が”日本人はソフトの重要性がわかってないからソフトにお金をだしてくれない”って嘆いていたけれども、それはアメリカでも同じみたい。なぜなら全く同じことをここでも聞いたことがあるから。

機械屋さんの文化では、まだまだソフトに対してお金を払うという考え方は弱いみたいです。

こんなことを考えてるきっかけは、マジコンのニュースが話題になってたから。
ドラクエ効果。ドラクエって6以降全然知らないけど。

何千億円の損害とかいうけれど、金額そのものはどうでもいい。ダウンロードしてる人たちが、違法アップロードがなかったとしても、そのうち実際の商品を買う割合はそんなに大きくないと自分は思うから。

ここで注目したいのは、このマジコンを売って儲けてる奴がいるってこと。
つまり他人の作ったコンテンツを利用して商売しているわけで。

この他人の作ったコンテンツを利用して商売しているもっとでかい奴らが、youtubeだったりveohだったりする。他人のコンテンツで客をひきつけて広告で商売してる。

でもこれによって製作者が、自分の製作物が盗まれていると思うんだったらそれはちょっと違う気がする。

ただネットで便利に見たいという需要があって、それにyoutube等が応えているだけだから。

昔CDやゲームの中古販売が問題になったときと同じなんだね。

中古販売だって、安くソフトが買いたい、安いなら買うって需要と、もう遊ばれないで眠ってるソフトがあることを結びつけたもの。この商売を著作権を盾に禁止してもたぶん誰もあまり得しない。

需要がただ満たされない市場が残るだけだから。

つまりソフト会社がミクロで得したような気分になっても、マクロ経済的には損。

これはソフト会社にとっても長期的には業界全体が伸びるチャンスを失ってんじゃない?
(論理が飛躍したかも^^)

中古販売は著作権が及ばないって判決が日本では出てしまったので、本気でどうにかしたかったらその市場を押さえるしかない。古い作品を廉価販売するようになったのはこの流れでしょ?たぶん。

マジコンやyoutubeへの違法アップロードを抑えたかったら、少なくともそれよりも便利な形で自分たちの作品を提供しなくてはいけない。

コピーも含めてオリジナルが一番便利なところに存在しないとコピーは駆逐できない。

なし崩し的になるからルールの整備は絶対に必要だけど、それをあてにせず資本主義的に行動しないと結局はどうにもならない。ギャップにより出来る需要がそこにある限り、絶対にそこに誰かが入り込む余地があるから。

気付かなくてはいけないのは市場を奪われたんじゃなくて、手付かずでおいしそうだから嗅覚のいい奴に取られたってこと。コピー品がなくたってその市場は取れていないんだ。

ヘビーユーザーとライトユーザにわけて商売することってできないのかな?

CDが売れないって言われる今だって100万枚売るアーティストはいるんだから、今までの売り方も継続しつつ、youtubeで見て満足するようなライトユーザーもとりこんでうまく商売する賢い方法があるはず。

ゲームソフトをタダで配るのも全然ありかもしれない。

これはビジネスの転換だから、常識的といわれる考え方を全部捨てなきゃダメでしょう。
本気でそのマジコン製造業者の持っていった市場を取りに行きたいならば。

タダで配るの前提としてどう食っていくか?

さあ制約が生まれました。制約の中での最適化だ。
得意でしょ?アイデアはあるはずだよ。

今のまま放置しとくと、そのライトユーザーを利用してyoutube(i.e. google)やマジコン業者はひたすら金を稼いでいくよ。あなたの作ったコンテンツを利用してね。(大事なことだから2回言いました)

アメリカではHuluが流れを作りつつあるけど、日本は本当にこれに関してはgdgdね。

邪魔をしているのは誰だ?

と煽りつつ、、、

同じ商品を違う売り方をするのが不平等だって考え方が日本にはあるのかな。

サーバーのトラフィックコストはまだまだ広告なんかではまだまだ元を取れないくらい高いからなのかな?

ライトユーザーを取り込もうとして、ヘビーユーザーを逃す怖さがやっぱり一番なのかな?

ライトユーザーを取り込もうとして、ヘビーユーザーを逃す怖さ。

このことは日本国内では懸案事項だけど、リスクがほとんどゼロでチャンスしか転がってないように自分には見えるのが、発展途上国、特に人口の多いインドや中国です。

そもそもアニメなんかは日本国外で売ることをほとんど意図してないから、海外での商売にリスクなんてないはず。

彼らは仲間内で共有のサーバーを立てて、日本のアニメをリアルタイム(日本の放送と同時)に鑑賞している。それによって別に著作権を侵そうとしているわけではなく(著作権なんて概念も彼らにはないけどw)、ただ早く作品が見たいだけなんだよね

彼らは貧しいからヘビーユーザーにはどうしてもなれない。
アニメなんか濃い奴しか見ないからマスは動員しにくいし。

だけど彼らの要求に上手に応えることができれば、ビジネスになる気がするし、しなきゃもったいない。
だってコンテンツの質は間違いなくいいんだもん。

昔流行ったロングテイルを取りに行く感じで。

アニメやゲーム会社はオフィシャルのサイトを提供して、そのサイトに広告を乗っけたりして。視聴者からはお金を取らなくても、広告費 >>> トラフィックコスト がもし見込めるならば、いけるんじゃないのかな。

それぞれ10億人以上wwいるから、そのうち0.1%の人が一日にアクセスしてくれるだけでも100万ビュー/dayなので、これってすごいでしょ?企業としては格好の宣伝の場なんじゃない?

広告もインド商人相手の現地での営業が難しかったら、在インドの日本企業に頼むのもありかもよ。

日本がコンシューマ向けに海外に売ってるものっていうと、車とか電気製品(最近は死んでる?)、サブカルチャーみたいな印象があるけど、食品とかシャーペンの芯みたいな文房具なんかも日本のやつ質がよくてがポピュラーなんだってさ。

わざわざ”ぺんてる”のシャーペンの芯持ってるって聞いて来るんだよ?
インド人が。

自分を雇ってくれんならインド、中国に営業行くよ?!
現地で設計と開発指導もするから。

インド人の英語も知らぬ間に慣れた。
どの民族のなまりがきたって対応可能です。

中国語ももう少し使えるレベルまであげとく。

とにかくyoutubeやマジコン製造業者が稼いでる部分って、もっと積極的に取りにいけばいいのになって関係者でもないのに勝手に思ってます(やらないのはいくら工夫しても稼げないからなのか????)。

ネットがない頃だって、タダで作品を鑑賞しようと思えばいくらだって出来た。

自分が中学生の頃(今は知らない)はNHK FMは高音質で曲を最初から最後まで全部流してたし、スペースシャワーTVは毎日流行り物のPV流してたからね。

もっとネットの強みを上手に使って宣伝して!

自分がネットを通じて作品に出会い、本を買ったみたいに。

そういう意味で角川はえらい。がんばれ。

エンジニアやアーティストがテクノロジーやアートに集中できる環境ができたらいいな。
なかったら作りたいなって気持ち。

自分のためにもね。ゲームだか、アニメだか、実写映画だか、いま想像できないようなものだかわからないけれど、自分もデジタルコンテンツで食べていきたいから。

これも環境整備。

ダラダラと書いたけど何がいいたいって、

『おまいら俺に仕事をいただけませんか?』

ってことですw

トラフィックコストはいまだかなりでかそうだね。
ちょっと調べただけでも。

youtubeやニコニコみたいに不特定多数の動画が帯域を取るようなサイトのトラフィックは半端じゃないだろうけど、オフシャルサイトみたいに、自前で提供する動画をユーザーがダウンロードするだけだったらなんとかならないのかな?

やっぱりきつい?

う~ん詰んでるなw中国人やインド人にはやっぱりやられ放題か?w

カリフォルニアなんかにいると中国人やインド人を勘違いするけど、リアル中国人やインド人はガチでヤバイからなw

今みたいにyoutubeに泳がせておいて宣伝し、いつか時代がやってきたときに取りに行くのが賢いのかな?

まだまだはじまったばっかだね。
youtubeだって当たり前の存在のようで、実は最近出来たばっかり。

やりがいはあるね。

なんて書きながら、水曜どうでしょうのベトナム縦断みてたら、ああいう空間が世界に存在することをすっかり忘れていた自分に気付いた。生きるなんてなんでもありだね。

行商のおばちゃんたちの農作物と一緒に軽トラに突っ込まれようと、寝てる上に大量のにわとりをぶちまけられようとそれが日常。ただ生きているという現実があるだけ。

焼畑人生。

汚物は消毒だ~!! (AA略
2009年08月01日12:01

I need a new i-phone app. to shut up loud drunk undergrads, and/or remotely sterilize them.

酒くさいバスの車内で隣の人が打ってたメール。

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プロフィール

yu. (Ph.D. UC Berkeley)   

慶応大学環境情報学部を首席で卒業。日本のベンチャー企業で働いたのち、アメリカにわたり、カリフォルニア大学バークレー校にて博士号を取得。専攻は機械工学、副専攻はコンピュータサイエンス。卒業後はシリコンバレーの大企業やスタートアップでプログラマとして働く。2016年の時点で生涯暮らすのに十分な資産を得たため退職。毎日好きなものを作って暮らしてます。


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