
アメリカサラリーマン生活5年目・2016年夏
この年の頭から始まった撮影の仕事も一段落して、マネージャーに会社を辞めて日本に帰ることを伝えました。
当初サラリーマンは3年間だけと決めていたのですが、レイオフ後に配属されたVRのプロジェクトが面白かったのでここまで続けてきました。
仕事自体はこのときもそれなりに楽しくやっていました。
しかし公園で一人でランチを食べていたように、精神的にきつくなってきてました。
辞める決心がついた一つの理由は組織として破綻しているのが見えてきたことです。
前の年の2015年にMicrosoftが自分たちが作りたいものとほぼ同じもののデモを完成させていました[ref]厳密には自分たちのプロジェクトは背景も含めた3次元撮影を試みていたのでもう少し野心的でしたが。[/ref]。
このMicrosoftのデモが実用的にはどのくらいのものなのかはわかりませんが、少なくとも論文を読んだ限りだと自分たちのアプローチよりも洗練されていました。
とりあえずここまでいけるのがわかっているのだから、まずは彼らの真似をしてみようと提案した同僚がいました。
それに対して『やり方を変えるのはもう時間がないから無理』とプロジェクトリードが言ったときに、このプロジェクトは失敗すると感じてしまいました。
自分たちのやり方では限界があるのは明らかでしたが、そこを担当しているプロジェクトリードはそれを認められませんでした。
またVPがモンスターだったという話をしましたが、実は直属のマネージャーが一番問題のある人間だというのがわかってきました。
彼の矛先が自分に向かってきた最後の数か月が精神的にかなりきつかったです。
そのマネージャーは私と同じUC Berkeleyの電子工学で博士号を取った、エンジニアリングバックグラウンドを持つ人間でした。
それにもかかわらず、まったく数学や目の前の事実に基づいた議論ができずただ自論を強弁するだけの人間でした。
さらに上に報告するためのデータの数字を彼が改変しているのを見つけ、それを指摘したことがありました。
それに対して間違いを認めながらも、『時間がないからしょうがない』と、そのまま報告されてしまったことがありました。
マーケティングの不誠実さやVPの人間性の問題はよくないことですが、しょせん社会はその程度だという諦めは20代前半のころには既にあって、自分に直接被害がなければ放っておけばいいと思っていました。
コミュ障は政治から遠いところで生きていくべきという記事で書いた通りです。
しかし事実かどうかを目の前で確認できるエンジニアリングの世界で不誠実なことをやられるとは考えてもいなかったので、私としてはこのことは10年にわたるアメリカ生活の中で一番大きな挫折でした。
たぶん自分は無駄に人に気を使いすぎて疲れている
辞めると伝えたのは5月だったのですが、最終的に辞めたのは9月でした。
契約書には会社・社員双方ともにいつでも好きな時に理由なしに辞められると書いてある[ref]だから予告なしにレイオフができる。[/ref]ので、今思えばすぐに辞めてしまってもよかったかもしれません。
しかし大学学部卒業後すぐに就職した日本の会社を退職する際、その辞め方が悪かったことを個人的に反省していて、いかに嫌なことがあってもきれいにやめなければいけないと考えていました。
マネージャーがどれだけ嫌でも、少なくとも同僚のエンジニアには迷惑をかけない形で辞めたいと思っていて、それに時間がかかった気がします。
それでも7月くらいには一段落していました。
転職による退職ではなかったので、leave of absence(会社に籍を残す)という形で会社を離れることになりました。
辞める理由はマネージャーが嫌だからなのですが、当然それを伝えるわけにはいかないので、『アメリカに来て10年なので家族と過ごすため』と伝えました。
会社がleave of absenceを提案したのは、落ち着いたらまた戻ってこられるようにという意味だったようです。
しかし7月にすぐ辞められず、8月から9月の前半にかけてリモートで家から働いていました。
頼みたい仕事があるのでそれをやってほしいと言われ、断ることができなかったからです。
マネージャーとは顔を合わせたくなかったので、オフィスにはもう来たくないと伝えたところ、妥協案として家からリモートで仕事をすることになりました。
今振り返ると、こちらの言うことはまず聞いてもらえないのに、なぜ自分は相手の言われるがままに便利に使われているのだろうと思いますが、その理由は先ほど書いた『きれいに辞めたい』というところだったような気がします。
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