
進むべき道をうまく選ばないと勉強が出来る能力が生かせない
本来とても賢い人でも、私には必要以上に難しい人生を送っているように見える人は多くいます。
賢いながらもそれをうまく生かせず苦しんでいる人は珍しくなく、そういう人生を送ることを他の(特に若い)方々には避けてほしいと考えて始めたのがこのブログです。
正直私自身がそのようになってしまっていた可能性は大いにありますし、またそれを避けられたのは運の要素も多分に大きかったので、私の経験をぜひシェアできればと思い書いています。
競争によるセレクションを好むならば研究者は目指すべき道ではない
あえて自分をプロ野球に例えると、ちょっと遅めの24歳で下位球団にプロ入りして、26歳にはチーム最高打率だったのに、給料は依然として球団最低レベル、スタメンにも起用されず、この球団勝つ気あんの?的な。そりゃ内野安打も多かったけどさ。。プロ研究者の世界ってほんと不思議。
— takash (@takash4) February 10, 2018
その例えに相応しいのはプロ野球じゃなくて、
公共インフラとして税金で支えられている研究者はプロとは呼べません。
プロとは強制されなくても人々に必要とされる人のことです。
以前にも書きましたが研究の世界はとても政治的です。
したがってフラットな競争が好きな人は税金に依存して生きるのではなく、市場での競争に参加するべきです。
科研費獲得というゼロサムゲームに一喜一憂して人生を浪費するのは愚策だと思います。
大学の人事システムは上が詰まるシステム
大学の教授はテニュアというものを取ると終身雇用になります。
日本の大学では定年がある分だけましですが、私が博士課程を過ごしたUC Berkeleyにおいては定年がありませんでした。
つまり辞めると本人が言い出さないまでは永遠に教授であり、そのポストが空かない限り新たな人は教授になれません。
そしてみんな研究が好きなのでなかなか辞めません。(私が所属していた学部でもここ10年で二人の教授が大学を辞めないまま亡くなりました。)
当選→当然な。つーかほんと腹立つ。論文書いてない奴と科研費全然獲れない奴を首にするだけで、メディアでバカなことほざいてる糞大学教員なんてほぼ一掃できるだろうに、それをしない。すげー簡単な大学改革だよ。費用もかからないよ。やれよ誰か偉い奴。
— takash (@takash4) February 13, 2018
この怒りはもっともな部分はあります。
ただ上記のようにシステムで大学は運営されているので、短期的には個人でどうにもなりません。
ただ私がよく知る分野に関していえば、日本においても逸材は30代前半でテニュアが取れているので、ある程度の実力主義は機能していると思います。
どの分野で働くのかはかなり死活問題
他分野で10年以上前に終わったような研究を、ほかの分野では新規の研究としてやっていることはよくあります。
つまり個人の問題よりも分野そのものが時代にキャッチアップ出来ていないという場合があります。
成熟しきっているなどの理由により、どうがんばっても社会にインパクトのある業績が生まれにくい分野はあります。
純粋に好きでやっているならば全く構いませんが、それを通じて他者に認められたいというような欲求が少しでもあるのならば、どの分野で働くかはよく考えるべきだと思います。
個人的には、そのような有象無象の研究でもいまだに科研費が出ているので、日本はまだまだ学術予算には余裕があるという印象を受けます。
しかし予算が縮小傾向なのは今後も変わらないでしょうし、分野ごとの取りつぶしや地方国立大学の統廃合の可能性も考えると、トレンドを見極めることはとても大切です。
18歳までのパフォーマンスは大した問題ではない
農学系だからかもしれないけど、名古屋大ですらセンター得点率78って書いてあるんだけど、これセンター試験で78%取れば十分受かりうるって意味だよね? センター試験で78%とか、むしろ高卒名乗っちゃいかんだろレベルに感じるんだけど。
— takash (@takash4) February 12, 2018
18歳までのパフォーマンスがいまいちでも、それ以降のパフォーマンスが素晴らしい人はいくらでもいます。
そして18歳までのパフォーマンスが高い人は、18歳以降もパフォーマンスが高い可能性は高いですが、残念ながらそうでない人もいます。
継続してる限りは能力は伸び続けますし、辞めてしまえばそこで能力は止まります。
つまり自分がやりたいこととお金を稼ぐ手段を一致させるのはとても大切になります。
無理をしなくても自然に継続するからです。
愛されない性格が一番つらい
以前に誠実で思いやりがあることはとてもいいことという記事を書きましたが、実力があっても人間性に問題がある人はとても生きづらいと思います。
能力がよほど突出していない限り、人間性に問題があるのは致命的です。
基礎学力が高いことを示すことができ、愛される性格ならば誰かが救い上げて、活躍できる道を紹介してくれることは多くあります。
私も20歳前後の頃は実力があれば他のことは関係ない、というような考え方をすることもありました。
しかし結局一人では生きていけない以上、自分の理想と現実社会の違いに文句を言うよりも、自分のことを他者の視点から客観的に眺め、その違いを受け入れた上で自分が何をすべきかを考えた方が幸せに生きられると思います。
勉強や研究で優れていれば他者に認められはずという価値観で暮らしていると、現実がそうではないことに直面した場合につらくなるだけです。
他者に対して攻撃な態度を取っていた場合、若ければ元気な人というポジティブな印象を与えるかもしれませんが、年を取っているとただの残念な人です。
生きる上で一番大切なのは誠実さと人に愛される能力です。
↑記事をシェアしてください!読んでいただきありがとうございました。