
アメリカサラリーマン生活3年目・2014年秋
アメリカで働き始めてから初めて転職をして、この秋からLytroというスタートアップで働き始めました。
今ではなくなってしまった会社なのですが、創業は2006年なので私が入社した時点ですでに8年目でした。
会社が清算されたのは2018年なので、トータルで12年間続いたようです。
私が入社した時点での社員数は100人くらいでした。
Intel時代は一人一つずつパーティションで区切られた空間が与えられて、職場も静かだったのですが、Lytroはおそらく元倉庫みたいなところをオフィスに改造したのか、一つの大きなスペースにみんなが机を並べて座るスタイルで、割と一日中騒々しくて最初の数か月はなかなか慣れませんでした。
自分のいたチームはどちらかというと研究っぽいことをするところで、基本的にはバックエンドです。
記憶が正しければ自分が入った時点でメンバーは11人で、そのうちの7人がPh.Dで、4人が修士卒だったと思います。
Intelのときは多様なエンジニアリングバックグラウンドを持つ同僚がいたのですが、このときは私以外はみなコンピュータサイエンスの出身で、グラフィックスや画像処理系のバックグラウンドを持つ人ばかりだったので、自分の興味に近い職場で仕事ができるようになったことになります。
私のチーム以外には、デスクトップアプリを作るチーム、ウェブアプリを作るチーム、モバイルアプリを作るチーム、そしてカメラの組み込みソフトを作るチームにも、ソフトウェアエンジニアがいました。
そういうフロントエンドに携わる人は、コンピュータサイエンスの修士卒と学部卒の人が半々くらいです。
またライトフィールドカメラというコンシューマプロダクトを売る会社だったので、QAの人もたくさんいて、そういう人は大学を出ていないような人も多かったです。
会社はすでに普通に動いているフェーズだったので、営業やマーケティングだけでなく、リクルータから弁護士まで社員として雇われていました。
スタートアップと言っても、その時点ですでに百億円以上の投資を集めていたのでわりとのんびりしていたと思います。
商品はすでに出ている状態でしたが、ソフトウェア側はいくらでもアップデートしていけるので既存のソフトウェアの機能拡張が仕事です。
言われるがままにやっていましたが、コンピュータグラフィックスと言えばゲームや映画くらいしか産業用の応用がないと思っていたので、自分の知識がいままで想像していなかったフィールドで生きたことはうれしかったです。
15年ぶりに一人暮らしが終了する
もともとシリコンバレーに移ってきたのは、長く付き合っていたパートナーと一緒に住むためでした。
彼女と私の職場は20㎞位離れていたので、お互いの職場の真ん中にアパートを借りました。
ポートランドに比べてやっぱりシリコンバレーの家賃はとても高いと思いましたが、それでも50㎡くらいの家で当時1600ドルだったので、今考えればまだ良心的です。
しかも今回は二人暮らしなので家賃は半々です。
車の運転が好きではなかったので、バス通勤や、自転車+電車[ref]ディーゼルなので厳密には電車ではなく汽車。[/ref]通勤なども試してみましたが、1時間に一本しか来ない電車がさらに遅延したりするので、一週間で諦めて車を買いました。
高い買い物だったので緊張しましたが、車がないと通勤時間がもったいなさすぎるので買うしかありません。
しかし日本車は余裕で20年くらい走るといわれますし、後で売るときもわりといい値段で売れることを考えればそこまで高い買い物というわけでもないかもしれません。
私は初めてなので新車を買ってみたのですが、新車はすぐに値崩れするので、おすすめはディーラー保障の中古車です。
もしくは日本人から中古の車を譲ってもらうのもいいかもしれません。
日本人は家でも車でもきれいに使うというのは本当です。
私もこの2年後に車を売るときには、結構傷があったりしたのにもかかわらず、新車とほとんど変わらないねと言われました。
最初は行って帰ってくるだけでもかなりストレスだったのですが、アメリカは道が広いので運転はすぐに問題なくなりました。
日本は本当に道が狭いので今でも怖いですが、毎日やっていればあれもあれで慣れてしまうのでしょう。
転職を目的にしてウェブ開発の勉強をしていたり、コーディング面接の勉強をしていたので、ストップしていたDAWをまたこのころ1年ぶりに再開しました。
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