リーディングスキルというものは存在するのか?

新井紀子教授の『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』から引用です。

AIと共存する社会で、多くの人々がAIにはできない仕事に従事できるような能力を身につけるための教育の喫緊の最重要課題は、中学校を卒業するまでに、中学校の教科書を読めるようにすることです。世の中には情報は溢れていますから、読解能力と意欲さえあれば、いつでもどんなことでも大抵自分で勉強できます。

私のように高校までで数学に挫折した人間というのは、計算ができないのではなく、根本的に文章の意味が理解できていないところに問題があるという新井紀子教授の指摘は一理あると思います。

私は公立中学に通っていたのですが、テスト範囲が方程式関連のときは毎回数学の平均点が大きく下がっていたのを覚えています。

同級生の答案を見せてもらうと、単純に数式が与えられて『この方程式を解きなさい』という類の問題は皆解けるのですが、文章を読んでその答えを方程式を用いて解くという形の問題(いわゆる文章題)が出来ないようでした。

これは文章を理解して、その状況を数式に置き換えられないということですが、その原因は読解能力がない、つまり文章が理解できないことにある可能性は高いと思います。

 

単語の定義を把握せずに文章の理解はできない

文章を理解するためには、まずはそこで使われている単語の定義を把握している必要があります。しかしそれを意識して文章を読むことができる方は少ないのではないかと想像しています。

例えば『微分可能』という言葉のように、日常生活で出会わない言葉であればその意味をまずは調べなくてはいけないとわかるのですが、『連続』や『平均の速さ』など、日常使う言葉を用いて数学的に特別に定義された言葉は読み流してしまいがちです。

その結果、定義を把握しないまま文章を読み進めて理解不能に陥るというのが私の高校時代だった気がします。

『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』も、私の書いた新井紀子教授はAIの専門家ではない 『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』も、読んだ方々の感想を見ていると、人は様々な解釈をするものだと思います。

その解釈に差が生じる原因は『それさえあればどんな文章も読める』と新井紀子教授の言う『読解力』という能力の有無ではなく、文章中に使われている言葉の定義を真に理解しているのかどうかなのではないかと私は推測しています。

私は言葉の定義を抑えることを大事にするようになってから、数学やコンピュータサイエンスの教科書や論文が読めるようになってきた経験があります。

『言葉の定義を把握しながら文章を読む』と『なんとなくフィーリングで読む』では、文章の理解度は大きく変わってくるということです。

この点に関してリーディングスキルテストで指摘されていないのがとても気になります。(参考:読解には知識が必要

 

読解という作業はそもそもとても難しい

新井紀子教授は『こんどこそ! よくわかる数学』という書籍の中で、『ものが落下する速度は、x秒後の秒速yを式で表すと, y=9.8x(m/秒)となります。1秒ごとに秒速9.8メートルずつ速度が上がるのです』と、高校数学である微分積分の概念が理解できていないことを公にさらしてしまっています。

自称数学者でありながら高校数学を理解していない新井紀子教授の現実からわかるように、文章を読んだだけで何らかの概念を理解するのはそもそもがかなり難しい作業です。

したがって読解力というものがどんな文章も理解できる魔法の能力のように宣伝されるのは違和感があります。

少なくとも私は読解力が低いので、コンピュータサイエンスのように自分で気軽に文章の確認ができる分野以外では働ける気がしません。

実証実験をせずに、頭の中だけで議論を完結できる方は『とても賢い』か『とても愚か』のどちらかではないでしょうか?

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プロフィール

yu. (Ph.D. UC Berkeley)   

慶応大学環境情報学部を首席で卒業。日本のベンチャー企業で働いたのち、アメリカにわたり、カリフォルニア大学バークレー校にて博士号を取得。専攻は機械工学、副専攻はコンピュータサイエンス。卒業後はシリコンバレーの大企業やスタートアップでプログラマとして働く。2016年の時点で生涯暮らすのに十分な資産を得たため退職。毎日好きなものを作って暮らしてます。


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