
アメリカサラリーマン生活3年目・2014年冬
アメリカサラリーマン生活も3年目に入りました。
すっかり1日のルーチンが出来上がっていて快適に過ごしていました。
会社までは歩いて15分、自転車だと5分。
田舎の緑が多い街で、たまに雪が降ったりして景色がきれいでした。
朝は会社のカフェテリアでオムレツを食べて、それからマフィンとドーナツとコーヒーを持って自分のキュービクルに行きます。
お昼ご飯も普通に食べているのに、3時ころにはよくお腹がすいてカフェテリアのピザやサラダバーを食べていました。
家に帰ってからも夕ご飯を自分で作って食べていたので、この頃はまだよく食べていたころです。
いまはすっかり子供の頃みたいに少食になってしまいました。
同僚とも仲良く楽しく仕事をしていたので、あのままの生活が今でもずっと続いていたとしても決して悪い生活ではなかったと思います。
最初のアメリカ生活は2006年の8月から2016年の9月まで10年間でしたが、この2,3年が一番人間らしい生活をしていたと思います。
『アメリカに住む』は『車を持つ』こととほぼイコールですが、 アメリカ在住8年目にしてようやく車の免許を取りました。
日本では車の免許を既にとっていたのですが、当時マニュアルで免許を取得したのもあり、車の運転というのは面倒くさいものだという思い出しかありませんでした。
今では日本でもたまに運転しますが、結局そのときの日本の免許は大学生の時の夏休みに農家のアルバイトで軽トラを運転した時くらいにしか使いませんでした。
アメリカのほかの州では違うかもしれませんが、少なくともオレゴン州とカリフォルニア州では コンピュータ上で行う学科試験に合格するだけで仮免許がもらえ、その後実技に合格すると普通免許がもらえます。
アメリカでは教習所というものがなく、親や友達と運転の練習をするのが一般的なようですが、自分は怖かったので500ドルくらい払って先生に教えてもらいました。
サンフランシスコベイエリアに戻ることに決める
パートナーが日本からカリフォルニアに戻ることに決めたので、一緒に住むことにしました。
これまでは会社の近くに住んでいたので車は必要なかったのですが、それぞれのオフィスが近くになければ運転するしかないので、このときに免許を取っておいてよかったです。
上司にカリフォルニアからリモートで働けるか相談したのですが、自分の担当箇所的に難しいという話になりました。
Intelの本社はシリコンバレーなので、グラフィックス系の仕事をしている部署にもいくつか連絡してみたのですが、会社の調子がそのころよくなかったのもあり採用を控えていると言われました。
そうなると残りの手段はほかの会社に行くことです。
この頃からアメリカの景気が持ち直してきたのか、いろいろな会社のリクルータから連絡が来るようになっていたので、どこかは入れてくれるだろうと気楽に考えていました。
以前コーディング面接を受けた時の経験から、ちゃんと勉強をしないと面接には受からないことはわかっていたので、この頃は会社から帰ってきた後と週末は以前買っておいた本でひたすら問題を解いていました。
コンピュータサイエンスの基礎は、まずプログラムが書けること、そして基本的なデータ構造とアルゴリズムについてわかっていることですが、この勉強を通じて自分はちゃんと基礎的な勉強をしてこなかったことに気づきました。
慶應SFCには当然データ構造とアルゴリズムの授業がありました。
しかし初回の授業で言語はJavaと言われそこで諦めてしまったので、これまで正式に勉強する機会がなかったわけです。
当時はC言語しか知りませんでした。
いまだにJavaは知りませんし、縁もありませんが、いまだに人気プログラミング言語1位なので、一概にプログラマと言っても色々な世界があるようです。
正直会社に就職するために受験勉強みたいなことをするのは馬鹿らしい気がしなくもないですが、プログラムを書く仕事をやっているのならば一通りこの手の勉強のおさらいしてみるのは意外に悪くないと今振り返ると思います。
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