10年前からあまり成長していない

2009年27歳の頃に考えていたこと

11年前のmixi日記が発掘されたので、昨日に引き続きはっていこうと思います。

いつまでアメリカにいるのか?
2009年02月27日11:20

住めば都というように、日に日に居心地はよくなるものだなぁと思う毎日です。

この大不況の煽りを受けてか、カリフォルニア州の財政は非常にやばいことになっていて、州立大学に対する予算もカットされています。それを受けていくつかの授業が開講されなくなったり、雇われる学生が減ったりと、トバッチリを受けている昨今です。

自分の給料の出所であった某企業も、今年の秋以降はお金を出せないそうです。
まったく面倒くさいことになりそうです。

こんな状況だから経済がどうだとかいう話は自然に話題にのぼります。経済の問題には政治的な問題が絡むことは必然だけども、最近面白いなと思うのは、自分の先生が自分のことをアメリカの人間という前提で話をしていることです。

自分が10年後も20年後もずっとここにいることが決定事項であるかのように話されても困るんですが。(たとえそう望んだとしても、無理かもしれないし。。しょせん外人なので。)

もちろん自分はこの国にいる限りはこの国のために働くのがマナーだと思うので、まったく構わないんだけれど、もし逆の立場だったら変な気を使ってしまう気がするので、そういうところはアメリカの(特に西海岸の(特にSFベイエリアあたり))の文化の特徴なのかな、なんて思います。

最近はそんなこの国の雰囲気に自分が吸収されていくような、ポジティブネガティブ両面性のなんともいえない気分を感じています。

サンフランシスコ
2009年03月08日19:10
バークレーの5倍くらい人種が多様な気がする。
学校にはなんだかんだ”特定”の人種しかいないんだな。今いるところが他の国だったり、アメリカの中でも他の都市だったら、もっと日本に戻りたくなってるような気がする。ここはあんまり外国に住んでる気がしない。Made in Japanのカメラを首からぶら下げたヨーロッパ人の中年夫婦に道を聞かれる。
自分はここに住んでる人のように見えますか?アメリカ=白人の国みたいな先入観がいまでも結構あるのだけれど、アジア人がごろごろしてるこの街はヨーロッパ人にとってもなかなかエキゾチックなのかなって最近思う。帰りの電車で隣に座ったいかつい黒人、PSPで”らきすた”見てるんですが。。B系ファッションな見た目と裏腹に、家では”かがみん萌え”とか言ってるんだろうか。
一週間は七日あると思ってるやつがバカ
2009年03月23日19:56

常に背水の陣だねって言われた。

何回も水に落ちてるけど、まだなんとか流されてない。

本当はもう水には落ちたくないんだけど、ちょっと余裕が出ると、守りを固めるのではなく攻撃に出るしかない状況。ちょっと攻め込まれるとたちまち戦線崩壊です。弱いから他の戦い方はできないのです。守りを固めて相手をがっちり受け止める横綱相撲なんて取ろうとしようものなら完膚なきまで叩き潰されます。常に奇襲でしかも必ず成功させなければならないけれど、毎回成功するわけない。でもまだ生きてるのは事実。

忙しいと考える時間がなくなるからイヤだ。

最近すごく刹那的に生きてることに気付きました。
いいか悪いかわからないけれどメンタル的に高校生の頃に戻ってしまってる。

景気に循環があるように、保守とリベラルが交互に流行るように、人間のメンタリティも循環するのかな。

目の前のことに追われて今後をちゃんと考えないと、冗談ではなく日本に戻るタイミングを逃す気がする。日本に帰りたいけれど帰れなくなりましたって人の話を聞くと、昔はそんなのあるわけないじゃん、とか思ったけれど、いまはわかる気がする。

鬱々な雨季が終わりつつあるこのごろです。
ちっちゃいのしかないけど桜ももう少しで咲くのかな。

日本は季節の変化が本当にきれいだよね。
それぞれの季節が一年に一回ずつやってくるというのもいい。

一生で見られるそれぞれの季節の変化は限られていて、ここで暮らすことでそれが減っていくのがもったいないね。

まだ吐く息の白い朝にふと土手の雑草が黄色い花を付けてるのに気付いたとき。六時間目のだれてくる頃にぼーっと窓際の席で夕立を眺めてるとき。勝手に校庭に侵入して銀杏拾ってる近所のばあさんをウォッチングしてるとき。初雪が降ったときの教室の中のテンション。

ここで育った子達は味わえないのです。

あの美しい変化は本当に奇跡だと思う。

これだけはっきりと季節が変化する地域って、世界でもかなり限られてるんじゃないかな。
もしかしたら他にないかもね。

日本の街並みやファッションはモノトーンだなって帰国するたび思うけど、自然が色彩豊かだから自然とそうなる。ここでは自然の色が限られているから、みんな家がピンクやオレンジや紫なのだ。

なんか胸がいっぱいだ
2009年04月13日17:36

やさしい。

自分みたいな、引きこもり人間でも受け入れられてる。
愛されてるのがわかる。(重いけどw)

すべてを受け入れるにはあまりにも自分のキャパシティがちっちゃいです。

体壊したり、興味が変わってきてることに気付いたり、アイデンティティみたいのを意識させられたり、過去の清算をすべき時期に来てたり、いろんなものがいっぺんに来て疲れた。蓄積してきた疲労がthresholdをついに超えたのかも。

年末の東京の景色はすべてが家族のようで、地下鉄の車内はこたつの中みたいだった。

表参道のカフェは都会の真ん中のはずなのにほのぼのとしていて、隣で履歴書書いてる女子大生や談笑する老年カップル。すべてが和む。がんばれって、いいなって。本当に親戚の人を見てるみたいだった。

だけどNorth Berkeleyの駅を出たときには、いつもいるところに帰ってきたという感じで、それがすごく不思議な気分だった。

事が済んだら日本に戻ろうと思ってたけど、今はもうずっとここにいてもいいなんて思ってる。もちろん自分がこの国では死ぬまでマイノリティなのは間違いないけれど、それを考えてもここにいてもいいかなって。

結婚するなら日本人以外ありえないと思ってたけれど、いい人ならばいまはどこの人でも全然いい。(大変だろうけどね)

こんなことになるなんて想像もできなかったら、本当にとまどう。

友達は少なくても、仲間はだんだん増えてきてる。

毎日行くいつもの部屋で、いつもの場所にいつもの彼がいる姿がなくなる人が来ると思うとさみしい。

インド人、中国人、アメリカ人。
日本にいた頃には考えられなかったけれどもそれが日常風景。

東京の景色の方がずっとエキゾチックに見える。

曲作りまた始めた。
弟の結婚式のために。

とりあえずこの夏は一回リセットしてしまいたい。
その勇気が出れば前に進める気がする。

いいか悪いかは知らないけど、もうここにきて3年間過ごしてしまったという事実は変えられない。

日本人が共有する記憶から切り離されて、アメリカ人にもなれないけれど、コスモポリタンなんてエタイの知れないものでもない。
なんだろこれ?

とりあえず生きなきゃいけない。

それで、もっと日本に頻繁に帰る。

この夏は伊勢参りに。

イチローよりSHINJOが好き
2009年04月21日17:44
今仕事でやってるような世界に出会って、もう9年になる。
先生をはじめ、きっかけを作ってくれた方々、本当にお世話になります。今27歳だから人生の1/3。今初めて認識した。長い付き合いだね。ゼロからスタートして、手前味噌だけど、業界内では1.5流くらいまでは来たような気がする。
一応これでご飯が食べられてるわけだし。でもここから一流になるのはすごい大変だ。
いままでと違うレベルの覚悟が必要な気がする。少なくとも自分の力では、一流を目指すためには、他のことに割いてる時間を投入して、リソース集中しないと、絶対に無理なのはよくわかった。でもそこまでやりたいかというと、その気持ちはあんまりない。元々はじめた理由は食べる手段を手に入れるため。
本当にやりたいことだったのかどうかと問うと、微妙になる。
もちろん好きなことの一つだから楽しんではやってるんだけど。自分は一つの世界で超一流を目指すよりは、いろんなことがやりたい。でもいろんなことをやるには、何か一つ手に職を持っておいた方がいいと20歳の頃考えた記憶がある。で、それがようやく確保できたような気がする。そろそろ新しいことをやってもいいんじゃないかな。小さい頃はよく目標を立てなさいとか言われたけれど、目標はずっとないし、今もない。だって今の自分を昔の自分は絶対に想像できない。1年後の自分なんかどうやって想像したらいい?全然よくわからないところに行って、そこで一生懸命やる。
そのプロセスが楽しい。結果はおまけ。運がいいからきっといいことあるよ。限られた時間いろんなことやって、そこそこやれるようになりたい。
どこに行っても2割5分。あとは人を楽しませることに一生懸命な人になれたらいいなと思う。SHINJOがmyヒーローです。https://www.youtube.com/watch?v=zpgQVXrfF4Q
国籍とアイデンティティ。
2009年04月26日13:21

目の検査に言ったときのこと。

「あなた日本人ね。」

* あなたはアメリカ人?

「台湾人。」

* いつからアメリカにいるの?

「中学生のとき。」

* それって移民じゃないの?アメリカ人じゃん?

「移民だけど台湾人。」

* は?でもパスポートはアメリカのなんでしょ?

「そう。でもアイデンティティは台湾人。」

* 。。。

「小さいときの思い出は台湾でのものだし、そっちの思い出が青春だから。。」

ここでのアイデンティティは、”自分がどのコミュニティに所属しているかという意識”、と解釈し、定義しておく。

仲間意識ってのは、思い出の共有による。
かっこよく言うと記憶の共有なのかなと最近思う。

これなんか日本の一般的な家庭において、ある年代に育った人間だけが共有できる最高のネタだと思う。⇒UFO撮影した http://urasoku.blog106.fc2.com/blog-entry-667.html

この前ふと耳をすませばのオープニングが見たくなって、英語バージョンのものがあったのでそのまま最後まで見てしまったのだけれど、正直あんまりおもしろくなかった。

どちらかというとあれは女の人が見て楽しい作品だと思うので、自分はストーリーよりも、さりげない日常の描き方が好きなんだけど。

団地の階段で近所のおばさんとすれ違いざま、「暑いわね」、なんて声をかけられる。
そのシーンだけで泣きそうになります。ああ夏だぁって。

英語バージョンではすごいどーでもいい言葉に置き換えられてました。。

英語版製作スタッフにとってはあのシーンはどうでもいいシーンなんだね。
記憶を共有していないから、あの”空気”の持つ意味がわからないのだ。

ストーリーを知っているのもあって、英語ながら言ってる事も大体わかるんだけれど、彼らの使う言葉に共感ができない。自分にとっての英語は単に情報を運ぶだけのもので、それ以上の力がないことがよくわかりました。

自分の使う英語には言霊が宿らない。

話がそれた。

記憶の共有。
世代間の考え方にギャップが出来るのは、思い出を共有していないから。

生まれは東日本と西日本で離れていても、日本全国同じような時代に育てば大体似たような経験をしていて昔話に花が咲く。日本人の美容師さんとお話をしていて、それがすごく楽しい。

センセイっ!男子がちゃんと掃除してくれないんですっ!

自分が所属していると思っているコミュニティとの記憶の共有ができなくなっていることが、不安の一つの源となっていそうです。

明日は今日よりムチャクチャ楽しい1日を過ごせバカ☆

上地のゆーすけは立派だなあ。

結婚式
2009年05月06日18:15

弟の結婚式でピアノを弾くことになっています。

100人くらいの方が来るということなので、これはまたとないチャンスだと思い、自分で作った曲で行くことにしました。100人お客さんを集めるのはすごく大変なことだけれど、今回は来てくれるんだからこんなありがたいことはないと、勝手にニヤニヤしています。

見栄っ張りなのでもっと練習してから録音しようと思ったけど、これからいそがしくなりそうなのでとりあえずこれで。演奏が拙くて悪いけれど、雰囲気が伝わるといいな。

https://yiusay.net/t1.mp3
タイトルは「小さい頃の思い出」です。

振り返って思う事

当時はリーマンショックの直後だったのを忘れていました。

ここ5年くらいは本当に景気がいいので、あの頃も遠い昔になった感じがします。

またこの頃はニコニコ動画をよく見ていたことを思い出しました。

涼宮ハルヒの憂鬱を最初に見て、子供のころ見ていたアニメと比べて絵がきれいになっているのに感激したのを覚えています。

いつからか正確には知りませんが、セル画からデジタルへの移行がこの間に起こっていたんですね。

3年間カリフォルニアに住んで、どうやらここには四季がないという事に気づいてきたようです。

今は日焼けがしたくないので避けていますが、昔は日本の夏が好きで、けれど夏は3年連続でカリフォルニアで過ごしていたので懐かしくなっていたのだと思います。

アイデンティティの揺れみたいなことも書いていますが、いまではすっかり住所が地球になってしまいました。

人が住んでいるところだったらどこでもそれなりに楽しく生きていけると思います。

そろそろ新しいことをやってもと書いてあるので、少し生活が落ち着いてきたみたいですね。

残念ながらそこから10年くらいは目の前のことに追われてしまうことになります

人の評価を気にせずに自分のやりたいことをやればいいのですが、お金を稼がないといけないと考えているとなかなかそういうわけにはいかなかったみたいですね。

この時知らなかったことは、世界は本当におもしろいことであふれていて、それらを楽しんでいるだけでどんどん時間は過ぎて行ってしまうという事です。

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プロフィール

yu. (Ph.D. UC Berkeley)   

慶応大学環境情報学部を首席で卒業。日本のベンチャー企業で働いたのち、アメリカにわたり、カリフォルニア大学バークレー校にて博士号を取得。専攻は機械工学、副専攻はコンピュータサイエンス。卒業後はシリコンバレーの大企業やスタートアップでプログラマとして働いていました。現在はフリーランス。毎日好きなものを作って暮らしてます。

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