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アメリカサラリーマン生活4年目・2015年冬

サラリーマン生活も4年目に入りました。

忙しかった大学院時代からすでに3年がたっていました。

子供のころは1年がとても長く感じましたが、大人になると1年はあっというまに過ぎて行ってしまいます。

アメリカに来た当初は大学院を卒業して、長くても3年働いたら日本に戻ろうと思っていました

私の生活にはお金が全くかからないので、3年働いてお金をためればその後は働かなくても逃げ切れるだろうと思っていたからです。

結局そのままサラリーマンは5年間続けたのですが、その理由はお金ではなくシンプルに仕事がおもしろかったからです。

小学生がなりたい職業というと、スポーツ選手や芸能人、幼稚園の先生・看護師などがならびます。

その理由は小学生に見える職業がそのくらいしかないからだと思いますが、年齢を重ねるにつれて見える世界が広がっていきます。

今の小学生の半分以上は今存在しない職業に就くと言われます。

自分自身も自分が子供のころに存在しなかった仕事をしていたので、自分のやりたいように進んでいけるという自由がとてもよかったのだと思います。

今でも面白そうな仕事の紹介は毎日のように来ます。

しかしそれを追いかけていたら自分の本当のやりたいことはやれなくなってしまうのが難しいところです。

贅沢な話ですが、時間は有限なので仕事は選んでいかないといけません。

新しい会社に転職したものの、製品の売り上げは想定したよりも悪かったようで会社の調子はいまいちでした。

色々なメディアに紹介されたり、日本でもめざましテレビで紹介された動画を見せてもらいました。

ヨドバシカメラにも並んでいて、 日本に冬休みに帰った時にはわざわざでそれを見に行ったりしてみました。

マーケティング的にもっとやりようがあるのかどうかはわかりませんが、個人的にはそこまでやってもダメだということは、結局のところ製品そのものに魅力がなかったいうことなのだと思います。

自分でも使ってみましたが直感的には使えず、技術的には面白いのですが、 正直言ってこれを売っていいのかと思うくらいには製品としての出来が悪かったです。

シリコンバレーの生活は日本人にもとても快適

この頃はサンタクララという街に住んでおり、アメリカに来て3つ目の街でした。

シリコンバレーは日系スーパーも複数あり、 (ラーメンブームが2010年くらいからアメリカに来ていたのもあり)ラーメン屋さんもたくさんあったりで、家賃の高さを除けば日本人にも生活は快適だと思います。

パートナーと一緒に暮らし始めたのもあり、この頃は一緒に図書館に行ったりカフェで仕事をして、帰りにどこかで外食して買い物して帰るというのが週末の習慣になりました。

自分は図書館に行くという習慣を持ったことがなかったのですが、彼女の本好きのおかげで図書館が面白いということを知りました。

プログラミングを仕事にしようと決めた大学3年生のころから、ここまで10年以上の間、科学・技術系以外の本を読むことはほとんどなかったのですが、この頃からは色々な本を読むようになりました。

転職も一段落しプライベートでは音楽を再開できそうな感じでしたが、結局1曲だけ完成させて終わってしまいました。

仕事がおもしろくなってきたのと、自分のその分野の知識不足の実感もあり、仕事のための論文を読んでいたりして夜や週末を過ごしていたからだと思います。

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プロフィール

yu. (Ph.D. UC Berkeley)   

慶応大学環境情報学部を首席で卒業。日本のベンチャー企業で働いたのち、アメリカにわたり、カリフォルニア大学バークレー校にて博士号を取得。専攻は機械工学、副専攻はコンピュータサイエンス。卒業後はシリコンバレーの大企業やスタートアップでプログラマとして働いていました。現在はフリーランス。毎日好きなものを作って暮らしてます。

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