
無償で世の中のために働く人がたくさんいることが可視化された時代
こんなやりとりがありました。
オープンソース全盛の現代においては説得力のないご意見です。
— yu. (@yu_phd) November 10, 2017
利用料を取る理論は使われないのでそのまま廃れます。似たような代替理論を出すことが難しくないことも多いです。
それを発明者が望むならばそれでいいですが、普通は社会で使われることで幸せを感じるのが研究者ではないでしょうか?
無理だと思いません。
— yu. (@yu_phd) November 11, 2017
大半の数学者は公金がなくても、無償で理論を社会に提供し続けると思います。
なぜなら数学者の大半はお金が欲しくて数学をやっているのではなく、数学が好きだから数学をやっていると、私は思うからです。
論理的にはKawaguchiさんの主張が成り立たない反例を出したら、その主張はなりたたないと言えると思いますが、いかがでしょうか?
— yu. (@yu_phd) November 11, 2017
「全体の主張は影響を受けません」って、それってもはや言ったもん勝ちですよね?
Ph.Dを持っている人からそういう言葉は聞きたくないです。
それでしたら初めから「"ある"研究領域になぜ公金をつっこむのか」と書けばよかったと思います。
— yu. (@yu_phd) November 11, 2017
「研究になぜ公金をつっこむのか」と書いてあったので、研究全般の話だと考えるのはおかしいでしょうか?
そもそも数学者の例を最初に出したのKawaguchiさんですよね?
オープンソース全盛の時代には、数学理論やソフトウェアなど、物理的な実体のないものから逐一利用料をとりたてる仕組みを成立させることが、そもそも不可能だと思ったのがこちらの会話のきっかけです
現在でも特許を通じてソフトウェアの発明の対価を得ることができます。
しかし現代ではそのようなやり方はよくないという考える人が多く、誰も所有権を主張しないオープンソースプロジェクトが世に溢れています。
誰も所有権を主張しないということは、誰でも無償で手軽に使えるということなので、そのようなソフトウェアは世界中に普及します。
ソフトウェア業界のどの分野においてもオープンソースがあることは当たり前になり、企業の有料ソフトウェアにおいても、内部にオープンソースを用いていないものは皆無と言ってももはや過言ではないでしょう。
そしてGoogle Summer of Codeのように、営利を目的とする企業も、自分たちのリソースを割きオープンソースに投資することも今では普通のことですし、私が過去に所属していた企業のチームでも、自分たちが使うために開発したソフトウェアのうち、一般的で世の中に役に立つと思われる部分に関してはライブラリとして無償で公開・提供をしています。
またソフトウェア業界では、『金銭的に対価が発生しているもの=いいもの』が必ずしも成り立ちません。
有料の物よりも無料の物の方が出来が良いことは珍しくないです。
何よりも私にとって印象深いのは、現代は自分の時間を無償で提供してオープンソースプロジェクトに参加する人が世界にはたくさんいることが可視化されたことです。
そのような時代においては、数学理論やソフトウェア、音楽等、コピーが無料であるものから利用料をとる仕組みを作ったとしても、単純にそれらが利用されないという結果になるだけなので、利用料をとるやり方は筋が悪く、初めからその仕組み自体が成り立たないと思います。
私はわからないことばかりです
ここまでいろいろと書いてきてこういうことを言うのもあれですが、正直自分が正しいことを言っているという確信はないです。
もちろん意図的に嘘をつくことはありませんが、他の記事も含めて私が書くことは間違っている可能性があるので、最終的にはご自分で判断していただければと思います。
大学教授や博士号(Ph.D)を持っている人の言っていることが正しい保証はどこにもありません。
自分の目で多くのものを確かめたり、人から聞いたものに対しても自分で上手に判断できるよう、日々知識を増やすことが大事だと思います。
ちなみに私が大学院に進学する前は、Ph.Dはなんでも知っている人だと思っていました。
しかし実際にPh.Dを取得する過程で私が学んだのは、いくら勉強しても世界のほんの少ししか知ることができないくらい世界は広いということでした。
Ph.Dを取得する過程で得たもの
私が大学院に進学した理由はアメリカに行くためです。
アメリカへの出稼ぎのすすめではいくつかアメリカで就職する手段を挙げましたが、私が選んだのは『4.アメリカの大学や大学院に留学して卒業する』で、その理由はそれしか当時思いつかなかったからです。
また修士課程ではなく博士課程を選んだのは、学費免除かつ給料も出るのは博士課程の学生だけだと聞いたからです。(一般にはこれは正しいと思うのですが、コンピュータサイエンスのように予算が非常に潤沢な学部では、修士コースの学生に対しても学費免除・給与支払いの機会が与えらえれるところが多いです。)
そういう意味ではあまりポジティブな進学とは言えなかったのですが、当時の私はPh.Dとはコンピュータも機械も電気も数学も物理も(以下略)何にでも精通している、とにかく科学全般に関して詳しい人だと思っていたので、そういう風になれたらいいなというあこがれを持っていたという面もありました。
自分で言うのもなんですが、大学ではよく勉強したと思います。
しかしPh.Dを取得した結果としてわかったのは、私はいくつかの狭い分野に関して人よりも少し詳しくなっただけで、それ以外の分野に関してはほぼ素人のままだということでした。(例えば私の化学や生物の知識はほぼ中学生で止まっています。)
私がPh.Dを取得する過程で学んだことは、特定の知識ではなく、新しい分野に出会ったときに、どうやってそれを身に着け、どうやってその分野に新しい知識を加えていけばいいかという、自分なりの方法論だと考えています。
そして自分の人生を通じて知ることのできることは非常に限られているということです。
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