
従来の『ものづくり』はたくさんの人が1つの仕事に関わっていました
自動車や家電など、いわゆる従来の『ものづくり』の世界はたくさんの人が必要な産業です。
日本の会社に勤めていた時の上司の話ですが、彼は大学卒業後大手メーカーに就職し、最初の仕事は大卒の人間のみが割り当てられる電卓の設計だったそうです。
1975年頃の話です。
設計が済み、意気揚々と工場にそのデザインを持っていくと、現場の中卒や高卒の職人さんたちに「こんなの物理的に作れないよ」と一蹴され、夜中まで一緒に設計を直したものだと語っていました。
実際のものづくりの部分は彼らの現場の経験がものをいう世界でした。
設計が完了し、製造方法が確立した後も、実際にラインで作業する工員の方々の協力なしではものはつくれません。
従来の『ものづくり』の世界はたくさんの人の協力が必要です。
堀越二郎はゼロ戦の設計者として有名ですが、実際には彼が何から何まで設計をしたわけではなく、名前の残っていない数々の技術者や現場の製造担当者のアイデアが、ゼロ戦の量産化の過程で組み込まれているはずです。
そして実際の量産では、さらに多くの名もなき人たちがそれを支えたことだと思います。
そういった時代では、いろいろな立場の人とスムーズに会話を交わす現場でのコミュニケーション力はとても大切なものだったでしょう。
またいろいろな人が一つのゴールに向けて力を合わせてがんばることを通じて、連帯感を感じやすい時代だったであろうと想像します。
現代のプログラマは設計から製造、テストまで一人で完結する
プログラマが与えられるのは、『こういうものが実現したい』という要求だけで、それ以外はすべて任されます。
どういったアルゴリズムで実現するか、ソフトウェアとしての設計、実際のプログラミング、そして問題があった場合のテストと修正も、すべて個人で完結します。
コンピュータやインターネットの登場により、頭脳労働者はほかの人に頼ることなく仕事を片付けられるようになりました。
同僚は似たような人ばかりなので、会話の仕方を工夫する必要もありません。
不特定多数と話さなくていいというのは、私のようなコミュニケーションを得意としない人間にはありがたいですが、人々の階層が分断されていると言われる昨今の一つの流れは、こんなところからきているのかなとも感じます。
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