月: 2020年1月
経済学が言語化してくれている社会の事象はたくさんある
どんなものでも知らないよりは知っているのこしたことはないので、自分が履修した文系科目についてタメになったかどうかという質問に対しては、どれもタメになったと思います。
自分にとって勉強は趣味みたいなのものなので、一生20歳の時間が続くのであれば、大学で履修できるすべての科目を勉強したいくらいです。
留学は最悪のスタートを切った
理系アメリカ大学院留学1学期目(2006年秋)
1学期目に履修した科目は以下の5科目。(成績表はこちら)
- CS 274: Computational Geometry
- CS 284: Computer-Aided Geometric Design and Modeling
- CE130: Mechanics and Materials
- E36: Engineering Mechanics
- E45: Properties of Materials
アメリカの大学院は知識詰込み偏重型という記事で書いたように、1学期に履修すべき科目数は基本は2つ、多くて3つです。
3つだと授業の課題をこなすだけで精一杯なのに、いきなり5つだったので完全に生活は破綻しました。
学生時代の成績表を公開する(慶應SFC、UC Berkeley)
慶應大学SFCの環境情報学部(2000 – 2004)
こちらは慶應SFCの時の成績表です。
文系少年がアメリカ理系大学院でPh.Dをとりシリコンバレーのプログラマになったきっかけという記事でも書いたように、自分はもともと文系で、大学3年生のときにコンピュータサイエンスの方向にシフトすることを決意しました。
上記の成績表でも、『大学1年と2年であった2000年と2001年』と『大学3年と4年であった2002年と2003年』は、履修している科目の種類が違うのがわかると思います。
99.9%の日本人にとってアメリカ社会は厳しい社会
日本はお金がなくても快適に過ごせるすばらしい国
ひさしぶりにアメリカで車のない生活をしているので、歩いたり公共交通を利用しています。
舗装のクオリティが低いので雨が降ると歩道は水たまりだらけです。
バスや電車の椅子の上に靴のまま足をのせるので、公共交通の社内もあまりきれいではありません。
自分が好きな街を作りたい
アメリカに来ました
用もなくアメリカに来たのは初めてです。
日本には9月末から大体3ヶ月半いました。
半分は鳥取で、半分は東京です。
燃え尽きた留学1学期目
理系アメリカ大学院1学期目が終わってすぐ日本に帰りました
サンフランシスコ空港で日本行きの飛行機を待っている間ほっとしていました。
とにかく終わってよかったと思いました(いろんな意味で)。
新しいことがたくさんありました。
新しい人たちにたくさん会ったのが一番の要因かなと思います。
引きこもりタイプは人と会うと消耗しがちです。
寮生活というのは人生で初めてでした。
地元の小中学校などと同様、不特定多数との共同生活は難しいです。
似たような環境の大学院生だけの寮だったらまだよかったかもしれませんが、自分のいたところは事前に聞いていた話と異なり学部生も混ざっていました。
また交換留学生が多いのも難しかったです。
彼らはしいて言ってしまえば長期観光旅行で、必死に今いる環境にしがみつくどころか、学校に行く必要もないので、普通の学生と温度差がありました。
アメリカの大学の授業は気合が入っている
授業の密度が濃いというのが日本の大学と比べての一番の特徴だ思います。
日本の大学では、教科書を買わされてもその一部をつまみぐいするだけのような印象でした。
下手すると全く使わない教科書を買わされたりします。
日本の大学はそもそも授業時間が短すぎるので、そんなに内容の濃い授業はできないと思います。
アメリカでは教科書を一冊買ったら、その内容を一学期で全てやるのでなかなか激しいなと思いました。
自分の学術的な強みはComputational Geometryという分野で、Computational Geometry: Algorithms and Applicationsという有名な教科書があるのですが、400ページ近くあるその本を一学期ですべてカバーしたのには驚きました。
つまりたった実質4か月でゼロからエキスパートレベルまでもっていくことを試みているので、必然的に授業の密度が濃くなります。
日本の授業では、学期中はだた先生の話を聞いていて、学期の最後にテストをやって終わりというものも多かったですが、アメリカではHomeworkが多く、期末試験だけでなく中間試験が2回も行われたりするなど、常にスケジュールに追われます。
自分はダメだとわりと諦めるタイプなので、もう無理となった時にはやらなかったりもしたのですが、自分以外の他の人はちゃんとやっていたのですごいなと思いました。
ただ一つその時にしらなかった裏技があります。
それはHomeworkやプロジェクトの締め切りというのは日本だと厳守の感がありますが、アメリカでは先生との交渉で締め切りを引き延ばせるということです。
この辺りは日本人にはなかなか慣れない感覚だと思います。
同期の中国人も、彼はとても頭がよかったですが、さすがに一学期目は大変だったらしく、最終プロジェクトの締め切りを交渉して数週間延長してもらっていたので、そういうやり方もあるんだなと思いました。
締め切りの感覚の違いというのは文化的なズレがあります。
就職してからも大体プロジェクトの目標期日が決まると、それに合わせて担当個所を完成させているのは自分だけという事がよくありました。
無駄に日本の感覚はまじめすぎるのかもしれません。
教授の授業に対する力の入れ方が高い
おそらく50歳くらいになると大学院生の授業だけをやっていればいいので、授業内容も世の中の流れが進むにつれて更新されるのでそれなりに楽しそうですが、40代以下の先生たちは、内容がほぼ万年変わらないような学部生の授業を受け持たされるので、あれはあれでそれなりに大変そうです。
しかし一度授業を作ってしまえば何回も使いまわせるので、ルーチンワークが嫌でなければ2回目以降は楽なのかもしれません。
アメリカに来る前は、アメリカの大学では教授は研究に専念出来て、授業は授業だけをする先生が別にいると聞いたこともありましたが、少なくともBerkeleyはそうではありませんでした。
Lecturerと呼ばれる、授業だけしかいない人もいるにはいますがかなりレアです。
日本の大学の先生は、研究がメインで授業はしょうがなくやっているイメージがあります。
しかし実際大学教授の給料は授業をやることの対価で、研究をするかどうかは本人の勝手なので、逆な感じもします。
やたら成績(GPA)を気にする人たち
Berkeleyの成績のつけ方にはLetter gradesとPass/No passという2つの方法がありました。
Letter gradesがいわゆるA、B、Cの評価で、GPAに影響する授業の取り方です。
Pass/No passは文字通り、合格が不合格かのみです。つまりLetter gradesのC以上だったらPassです。
PrelimやQualifying Examを受ける条件、そしてPh.D取得条件にも、必要な授業を履修するだけでなく、最低GPAの基準もあります。
したがって学期の途中でついていけないと思ったら、Letter gradesからPass/No passに切り替えるか、最悪の場合その授業の履修をキャンセルするという方法があります。
日本の大学が他の国の大学と異なっていることに、成績をあまり気にしないことがありますが、アメリカを含む他の国の学生はそれに慣れているので、彼らはAをとれないとなると、上記のような方法で高いGPAをキープしようと努力します。
学生のうちはGPAを高くキープするというのは必要悪です。
しかし一度卒業してしまえばだれも学生時代の成績を知りません。
この点に関しては、日本の方がちょっと進んでいるのかもしれません。
結局学校を卒業しても勉強し続ける人とそうでない人がいて、学生であった期間というのは人生が進むにつれて薄まっていくので、インパクトが小さくなっていきます。
無理やり勉強させられるのが、日本の場合は高校まで、アメリカでは大学院卒業まで。
その後に継続できるかどうかは結局その人次第。
それだけの話だと思います。
アメリカの大学院は知識詰込み偏重型
頑張ってもダメだった大学院での1学期目
私の通っていた慶應大学SFCの学部では、各学期ごとに10科目まで授業を履修することができました。
それに対してUC Berkeleyの機械工学部の学部生は3科目か、がんばって4科目です。
これはBerkeleyがSFCに比べてヌルいというわけではなく、授業の密度と強度が違うのが原因です。
アメリカの理工系の大学で学期に10科目も履修したら破綻します。
私は社会全体で見れば勉強ができる方ですが、できる人たちの集団に入れられると大したことはないというのは高校生の時点で自覚していたので、大学入学以降は人よりも時間をかけて根性でなんとかするという通用を取ってきました。
大学院入学1年目で、ついにこの方法が通用しなくなりました。
大学院では、各学期に2つの授業を取るとかなりきつい、3つとると睡眠時間を削ってもついていくのがやっとという状態でした。
アメリカの理系大学院では入学してすぐにペーパーテストがある
UC Berkeleyの工学系のPh.Dを取得するまでに、2回テストに合格する必要があります。
そのどちらかに落ちると基本的には退学で、博士課程コースに合格しても修士号だけで卒業です[ref]参考:新井紀子教授の学歴詐称の件 [/ref]。
Berkeleyではpreliminary exam (prelim)と呼ばれていた、1つ目のテストは純粋なペーパーテストでした。
2つ目はQualifying Examと呼ばれる、Ph.D candidateになるための4人の教授による口頭試験です。
入学して1年以内にまずprelimに合格するのが、博士課程に進学した大学院生の最初のタスクです。
こちらによると、今は以下のうちの自分の専門分野のみで合格すればいいようです。
1. CONTROLS
2. DESIGN
3. DYNAMICS
4. FLUID MECHANICS
5. HEAT TRANSFER
6. MATERIALS
7. SOLID MECHANICS
8. THERMODYNAMICS
自分が通っていた時は1つでなく、3つパスしなければいけなかったので、Manufacturing(製造技術)とMaterials(材料力学)とDynamics(動力学)を受けました。(Manufacturingのテストはなくなってしまったようですね。)
問題は機械工学のバックグラウンドがないまま入学したので、このprelimの準備のための学部生の授業と大学院生の授業を同時に履修しなければならなかったことです。
結果的に1学期目は5科目を履修することになり破綻しました。
久々にがんばってもダメだったなと思いました。
先ほど書いたように、3科目がせいぜい限界なのでしょうがないです。
2学期目はprelimの準備のためだけに大学院生向けの授業は履修しなかったので時間的に余裕があり研究も少しできました。
なぜ1学期目もそうしなかったかというと、大学院生向けの授業は数年に1度しか開講されず、そのチャンスを逃せないためです。
そういう授業が運の悪いことに私の1学期目に2つ偶然開講されてたわけです。
共にCSの授業で、二人とも私の博士論文の審査をしてくれるような近しい人だったので、本当に運の悪いタイミングもあるものだと思います。
理系のバックグラウンドのない人が理系大学院に進学する際のアドバイス
学部1,2年生が受ける授業をlower-divisionコース、学部3,4年生が受ける授業をupper-divisionコースと呼びます。
いわゆる専門はupper-divisionコースで、lower-divisionコースは例えば数学や物理など、工学系の学生であれば所属する学科に問わず履修するようなコースになっています。
prelimの準備のため、私は2つのlower-divisionコースも1学期目に聴講していました。
これは今振り返ると時間を無駄にした一つの要因だと考えています。
その理由は、lower-divisionコースで教えられるような知識が私には欠けていたとはいえ、さすがにこれらのコースで教えられている内容は、一度大学を卒業した人間にとっては簡単すぎるという事実です。
したがって、もし私と似たような状況の方がいたら、アドバイスとしてはlower-divisionコースは教科書だけ買って、必要に応じてそれをめくればいいと思います。
授業に出るのは時間がもったいないです。
prelimに合格するためのupper-divisionコースや大学院生向けの授業を理解するための前提知識として、もちろんlower-divisionコースの知識が必要になることがあるのですが、そこからボトムアップで勉強するのは時間がない人には効率が悪いのです。
やりたいことが研究しかないなど、時間が有り余っている人はいいですが、やりたいことに追われていて時間が足りない私のような人にとっては、勉強は基礎を積み上げるよりも最初からトップダウンでやる方が効率がいいです。
アメリカに何年住めばスムーズに英会話ができるようになるのか?
TOEFLで高得点をとっても英会話はできない
アメリカ理系大学院に留学した直後の話です。
プログラミングや、科学や数学は世界共通なので、そこに関して心配はありませんでした。
そこで初めて渡米するとなると、本質的ではなくても一番障害となるのが英語だと思います。
また会話が難しいのは英語の問題だと勘違いしがちですが、習慣や文化の違いの理解不足によるコミュニケーションの難しさもあります(「How are you?」「 I am fine. Thank you.」という会話のフェイク感)。
まずアメリカに到着した初っ端から、まず入国審査官が何を言っているのかわかりませんでした。
初体験だというのもありますが、一つ確信をもって難しいのは仕方ないと思えるのは、なぜかサンフランシスコ国際空港の入国審査官は英語ネイティブの人が極めてまれで、みなとても訛りの強い英語をしゃべります。
研究室の仲間やクラスメートも何を言っているのか最初はわかりませんでした。
クラスメートだけでなく、その辺の人とランダムに話して会話がわかるようになるには3年くらいかかったような気がします。
だけど授業の内容は最初から理解できました。
おそらくかなりフォーマルな話し方をするからだと思います。
だからそこの部分は心配する必要はないと思います。
プロジェクトや実験などで他の学生と一緒に話をしなければいけないときは、最初は本当にどうしようもなかったです。
もはやなにがわからないのもわからないくらいわかりませんでした。
誇張抜きで言っていることの90%はわからない感じです。
自分でどうやってわかるようになったのか記憶がないので、残念ですがアドバイスはできないです。
でもいつかわかるようになるのは間違いないです。
おそらく日常会話の英語を聞きなれているかどうかだと思います。
しかし私が24歳だった2006年の頃と違い、今はyoutubeで世界中の日常がのぞける時代ですから、あまり心配する必要はないのかもしれません。
思ったよりも給料が低くて焦る
大学院でのアメリカ留学はコスパ最高という記事を書きました。
学費は免除され、最初の1年目の手取りは月額1200ドルくらいだったと思います。
この金額は割と生きるのに最低限ぐらいの感じで、一人でアパートを借りたら赤字という感じでした。
最初の1年目は学校の寮で、おそらく毎月200ドルくらいの赤字だったと思います。
最初に5000ドルもって渡米したので、それをやや切り崩しながら生活しました。
これは14年前、2006年の物価基準なので、いまは給料も家賃も上がっています。
こちらに2019年現在のUC Berkeleyの給料表がありました。
機械工学の大学院生はこちらによると、最初は月給4,463ドル、preliminary examというペーパー試験に合格すると月給4,769ドル、最後にPh.D candidateになるためのQualifying Examという口頭試験に合格すると月給4,981ドルだそうです。
学期中は法律で外国人は週に20時間までしか働けないので、実際の支給額はこの半分になります。
つまり1年目は月給2,230ドル、手取りだとおそらく2,000ドル強くらいになると思います。
ざっとみたところ現在のBerkeleyの家賃はStudioでも最低1500ドルほどするようなので、額面上は14年前と比べて70%ほど上がっていますが、家賃も同じくらい上がっており、カツカツなのは変わらないようです。(当時の私の家賃はstudioで985ドルでした。)
1年過ぎてpreliminary examに合格すれば、200ドルくらい手取りが上がるので生活が回るようになると思います。
3年目に入りQualifying Examに合格すれば、毎月100ドルくらい黒字になるという計算になります。
カツカツの暮らしで5年も過ごすのはきついと感じるかもしれませんが、夏休み中は外国人は週に20時間までしか働けないという制約がなくなるので、指導教官に予算があり、かつ寛大な人ならばフルタイム扱いになります。
私は卒業まで毎年夏休みはフルタイム扱いにしてもらえたので(つまり2020年現在ならば手取りで月4,000ドルくらいもらえる)、それでわりと余裕をもって暮らせました。
ちなみにBerkeleyは州立大学のせいか給料はかなり安い方だそうです。(テキサスのように石油で潤っている地域や、私立大学だともう少し恵まれているかもしれません。)
またエンジニアリング系の学生、とくにコンピュータサイエンスの学生ならば、お金の話をするならば夏休みにインターンをした方が収入的にはもっとよくなります。
特に研究者になりたいのではなく、私のように就職したい人はインターンの方が将来の就職につながりやすいのでお勧めです。
こちらにインターンの月給に関する記事がありました。
2019年の相場は、最高のFacebookで月額8,000ドル、その他メジャーなtech companyを挙げると、Amazonが7,725ドル、Googleが7,500ドル、Microsoftが7,250ドル、Uberが7,167ドル、Appleが6,667ドル、Intelが5,000ドルといった感じのようです。
インターンなのに日本のサラリーマンよりも給料が高そうですね。
インターンはビザが簡単に出るので、日本の大学院に通っているが副収入が欲しいという方もこれらのインターンに応募してみるといいと思います。
お金を抜きにしても、いい経験になるはずです。
アメリカ大学院に合格をもらってから渡米までの過ごし方
渡米前に日本でしかできないことをやっておいた方がいい
アメリカ大学院出願から合格までについて書きました。
合格の通知をもらったのは3月の末、実際の渡米は7月の末だったので4か月くらいありました。
この2006年7月の渡米から2016年9月まで、10年以上の間ほぼアメリカに行きっぱなしでした。
別に日本に絶対に戻れないわけではないですが、自分の場合はアメリカ大学院留学は就職と同じだったので、『日本に滞在する=収入がゼロになる』わけで、長く日本に滞在するチャンスはありませんでした。
だいたい年に1回、2週間ほど日本に年末年始に帰るか帰らないかといった感じでした。
アメリカ理系大学院在学中の反省点に書いたようにもう少しうまくやれたかもしれませんが、今振りかえれば20代から30代前半までは自分が社会でやっていけるか自信がなかったので、必死に目の前のことをやるしかなかったんだと思います。
またサラリーマンになると一段と日本には戻りづらくなります。
まずビザ的に、学生ビザ(F1)から就労ビザ(H1B)への切り替え時や、グリーンカード取得時など、ビザ切り替え中はアメリカ国外に出ないように言われます。
またギークなプログラマが好きな場所で好きな時間に働くというシリコンバレーのイメージは既に昔話になっていて、これだけソフトウェア産業が巨大なビジネスになってしまうと、どうしても人は組織的に管理されてしまいます。
オンラインよりもオフラインでのコミュニケーションに流行りはシフトしていて、リモートワークもなくなり、個人のスペースも取り払われていっています[ref]シリコンバレーは伝統的な日本企業っぽくなっていって、日本の伝統的企業は逆にリモートワーク推進の流れなのでおもしろいですね。[/ref]。
もし自由にやりたいのならば、Google、Facebookのような(もはや伝統的)大企業は避けて、数人でやっているようなスタートアップをお勧めします。
話がそれましたが、一度アメリカに行ってある程度頑張ると決めたならば日本に戻ってくることは簡単ではなくなるので、やりたいことのうち日本でしかやれないことを考えて渡米前にやっておくことをおすすめします。
自分の場合はやりたいバイトがあったので、それをこの時やっておけばよかったなと後悔しています。
未成年は不自由ですが、20歳になると年齢でできないことはなくなります。
しかしそれは永遠ではなく35歳を過ぎるとそのボーナスタイムは終わります。
留学して卒業後に日本に帰ってくるつもりならばいいですが、私のように渡米の目的が就職の場合は10年くらいは日本を離れることになり、帰ってきたら30歳を過ぎているので、そのつもりで人生計画をするべきだと思います。
渡米前にやっていたこと
まずプログラミングのバイトをしていました。
1年間英語の勉強ばかりしていたので、リハビリと称してやっていました。
自転車の乗り方と一緒で、プログラミングはやらないと忘れるものではないことを学びました。
バイトが週3日くらいで、他の空いている時間は物理の勉強をしていた気がしますが、あまり記憶に残っていないのでそこまで熱心にやってなかったのかもしれません。
UC Berkeleyの機械工学の場合、入学して1年後(修士を持っている人は半年後)にpreliminary examというペーパー試験に合格する必要があるのですが、正当なエンジニアリング教育を受けていない自分を指導教官は心配して、日本にいる間に少し勉強しておきなさいと言われた気がします。
今振り返れば、やらなければいけないのは物理の中の力学だったのですが、波とかあまり関係ない分野の教科書を読んでいた気がします。
そのくらい機械工学とはどんな分野かよくわかってない状態だったというわけで、今振り返れば本当に合格もらえて幸運だったなと思います。
とはいっても、そんな私でも先ほど書いたpreliminary examは普通に合格した中で、機械工学の修士を持ちながら入学してきてpreliminary examに合格できなかった人もたくさんいます。
つまりアメリカの大学院のセレクションシステムは学力における公平なゲームではなく、少なくとも勉強のできる人が必ずしも選ばれているわけではないというのは確かなようです。
初めての時はすごく緊張した
いまでは渡米するのはふらっと近所に出かけるの同じくらいに気楽になっていまいましたが、当時はすごくドキドキしていたような気がします。
アメリカがどういうところかまったくわからなかったので、現地で買えるようなシャンプーやリンスまでスーツケースに詰めて持っていったのを覚えています。
現地に二週間だけホテルを予約しておいて、その滞在中に家を探そうと思っていました。
最終的には応募していた学校の寮に入れることになったので、そこに最初の1年間は住むことになりました。